(33)『博士の愛した数式』

小川洋子 『博士の愛した数式』  2008年1月

小田島 本有    

 博士は、交通事故で頭を打って以来、記憶は80分しかもたない。しかも、変人扱いされており、それまでの家政婦は博士との折り合いが悪く、いずれも長続きしなかったのである。
 では、なぜこの主人公である「私」だけが例外でありえたのであろうか。それは出会いそのものが「私」にとって魅力あふれるものだったからである。「私」の誕生日である2月20日「220」と、博士がかつて受賞した学長賞の番号「284」。「220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。(略)君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながり合っているなんて」
 「私」にとって十分すぎるほど魅惑的な言葉であった。「私」はこの一言によって、博士との宿命的なつながりを実感させられたのである。一見すると無味乾燥に思われるものが、一つの光をあてることによって神秘的な相貌を表すということを「私」は気づかされたのだ。それは博士に「ルート」と命名された彼女の息子の場合も同様である。
 博士は結果以上にプロセスを重んじる。彼はしばしば数学の雑誌に掲載されている懸賞問題に応募し、当選もする。しかし、その結果に対しては冷淡だ。彼にとっては正解を導くまでの道筋こそが大切な時間なのである。ルートに数学を教えているときもそうだ。答えが合っていればいい、というものではなかった。むしろ間違いを喜んだところに博士の本質が現われている。「私」もルートも、博士と世界を共有すべく数学の世界に魅せられていく。
 その様子を嫉妬しながら眺めていたのが、博士の義姉にあたる女性である。彼女の夫、すなわち博士の兄は既に他界しているが、生前中から義姉と博士は恋愛関係にあったらしい。後年、博士は交通事故を起こすが、そのとき同乗していたのは彼女である。彼女は左足を骨折し、博士の記憶は1975年で止まってしまった。彼女は博士の隣に住んでいるが、現在博士の目に映る未亡人はただの年老いた女性であり、かつての恋人ではない。その過酷な現実と向き合いながら、彼女は家政婦母子と博士との睦まじい姿を羨望の思いで見ていた。
 とうとう博士の記憶が全く失われたとき、未亡人は「私」にこう言った。「義弟は、あなたを覚えることは一生できません。けれど私のことは、一生忘れません」これは勝利宣言とも言えなくはない。しかし、この言葉には憐れさも滲んでいる。事実、彼女は「私」に対して柔軟な態度をとるようにもなった。
 博士の記憶から「私」の存在は失われた。だが、「私」やルートの心の中には博士と共に過ごした時間が鮮やかな記憶として残る。そしてルートは、数学の教師として教壇に立とうとしているのだ。