(55)『村の家』

中野 重治 『村の家』 2009年11月

小田島 本有    

 自らの転向体験をモデルにした中野重治の『村の家』。中野は出所後ほどなくして五つの転向小説を立て続けに発表したが、『村の家』はその中でも白眉とされている。
 田舎で父親の孫蔵と息子の勉次が向き合う結末場面はあまりにも有名だ。孫蔵は息子が逮捕されたと聞いたとき以来、息子は死んだものとして処理してきたという。思想統制の厳しい状況の中、信念を通そうとすれば小林多喜二のような運命も可能性としてありえたはずである。その息子が転向を表明し、出所してきた。
 父親は息子に向かい、文筆は捨てて百姓をしろと迫る。孫蔵には息子の甘さが目について仕方なかった。村をモデルとした小説の中で息子は大地主の実名を躊躇なく出す。これがいったいどのような波紋を投げかけるか、息子には分かっていない。同様の不満はいざというときに助力を求めてくる息子の妻タミノにも向けられていた。まずは汗水を流すこと。そこから書くべきものが見つかるのであれば書けばよい。それが孫蔵の言い分だった。これはまさに生活者の論理と言えよう。
 作品の後半はほとんど孫蔵の一人語りである。勉次はじっと父親の言葉を聞いていたが、「どうしるかい。」という父親の問いかけに対し、「やはり書いて行きたいと思います。」とだけ答える。勉次にしてみればこれしか言えなかったというのが本音だろう。「そうかい……」と言ったときの父親の言葉に「侮蔑の調子」があったことを語り手は付け加えている。
 しばらく二人の沈黙が続く。このとき、勉次は孫蔵を十分納得させることはできなかった。しかし、この場面がまったくの無駄だったわけではない。
 勉次は父親の言葉を通して、机上の空論ではない、厳しい現実の姿に触れた。それは今まで信奉してきた主義、主張が本当に現実に根ざしたものだったのかどうかを改めて問いかけるものだったはずである。彼はそれまでの自らの行為が同志に迷惑をかけたことについては責任を感じていたが、同様のものを父親に対してそれまで感じてはいなかった。民衆を救うことをスローガンに掲げながらも、紛れもなくその一人である肉親に目が行き届かなかった己の鈍感さ。彼は自己矛盾という現実に向き合うことを余儀なくされたのだ。
 書くことにこだわろうとする勉次。今の彼にはその思いがあるだけで、何を書けばいいのかも十分見えていない。だが、その方向性の予兆だけは我々読者にもうかがうことができる。