(62)『天の夕顔』

中河 与一  『天の夕顔』 2010年6月

小田島 本有    

 昭和13年に発表以後、戦中、戦後にかけておよそ45万部が売られ、6カ国語に翻訳された事実がありながら、文壇からはあまり相手にされなかったという数奇な運命を辿った作品、それが『天の夕顔』である。
 主人公は7歳上の人妻を23年間にもわたって思い続けたにもかかわらず、結局それが実らなかった経緯を語っていく。「ばかばかしいといって、人は、おそらく身体をふるわしてわたくしの徒労を笑うかもしれません」と主人公が語るように、彼には読者の冷ややかな眼差しが意識されている。それでもなおかつ、「わたくし」が生涯を賭けた夢を語ることにこだわるのはなぜなのか。そのことを我々読者は改めて考えてみる必要があるのかもしれない。
 作品を読んでみると、当初は「あの人」の方が「わたくし」に接触を求めようとしていたことが分かる。夫との不和、母親の病そして死という経験の中で、彼女は「わたくし」に慰めを求めようとした。しかし、自分が人妻であるという意識も彼女にはもちろんある。したがって、彼女の行為は例えば貸した本の中に、覚え書きとも手紙とも判断のつきかねる小さな紙をしのばせるという形にならざるを得なかった。「わたくし」が彼女から借りた本が「アンナ・カレーニナ」「ボバリー夫人」といったいわゆる不倫ものであったことも作品全体を予兆していたという点で見逃すことができない。
 やがて互いの思いが確認されたにもかかわらず、二人はそれ以上には進展しない。それは彼女の側に踏みとどまろうとする意志があるからだ。作品全体を通して、「わたくし」が「あの人」から拒絶を受けた場面は4度描かれている。出会ってから23年の間に二人が実際に顔を合わせている機会というのは決して多くない。彼女の拒絶を受けたために「わたくし」がしばらく会わないこともしばしばだったし、行方が分からないこともあった。「わたくし」が作品の展開につれて「あの人」を神聖化する傾向があるのは、このような状況を考えると必然的なものだったと言えよう。おそらく彼女の側にも同様のことは言えたはずで、二人はいわば隔てられることで自らの精神を純粋化していったのである。
 あと5年待って欲しい、と言われたのは「わたくし」が40歳のとき。そして待っていたその日を迎えるという前日、病弱だった彼女から末期の思いで書かれた手紙が届けられる。そして彼女の死という現実に「わたくし」は向き合う。ついに「わたくし」は彼女と一緒になることは叶わなかったのである。
 戦争中、多くの若者の命が失われた。恋人たちがやむなく引き離されたことも多かったはずである。現実が過酷であればあるほど、精神的なものを追い求める気持ちは強まっただろう。この作品が当時多くの人々の心を捉えたのはそのような時代背景と無縁ではない。