(63)『生活の探求』

島木 健作  『生活の探求』 2010年7月

小田島 本有    

 感冒から肺炎を引き起こし、一時は危ない状態に陥った杉野駿介。退院後、田舎の実家に戻って三ヶ月が経つのに彼は東京の大学に戻ろうとしない。作品はこのようにして始まる。
 彼はもう戻るつもりはなかった。田舎で農業に従事したいという願いを持っていたからである。彼はそれまでの観念的な世界と訣別し、生産的かつ生活的なものを欲した。
 彼の百姓宣言に異を唱える人物が作品の中では二人登場する。一人は志村克彦、もう一人は上原新次である。
 志村は駿介より年上だが、彼と同様、同郷のインテリであり、やはり田舎に戻っていた。彼は駿介が目指す帰農は既に社会では試験済みのことであり、結果は見えていると言い放つ。志村が例として挙げるのは武者小路の新しき村、息子を農業に従事させた島崎藤村、あるいはトルストイの『アンナ・カレーニナ』に登場するレーヴィンなどである。志村がこれらを知ったのは書物を通してであり、彼自身が自らの実体験を通して学んだものではなかった。志村は駿介に対して「逃げ出した」と評するが、実はこの言葉そのものが自身に向けられたものではなかったか。志村は自らインテリであるという事実から抜け出せないでいた。この宿命とどう向き合うか。それが志村自身の抱えた課題であった。彼がわざわざ駿介の家を訪れて対話を求めたのもそのためである。当初、乾いた、投げやりな言い方をしていた志村が、別れ際にはその言葉に真率な響きが感じられるまでに変化していることに注目すべきだろう。
 一方の上原新次は、村長、県会議員を務めた男であるが、駿介の決断には賛成できないと語る。上原は動かしがたい田舎の「常識」という壁とぶつかり、これと戦った経験がある。自分と同じような苦労はさせたくない。できれば若い青年には危なげのない道を歩んでほしいという思いが上原にはあった。だが、その一方で反発した駿介を目の当たりにして嬉しいという思いも隠さない。上原にはそうした矛盾した思いが同居していた。
 杉野駿介も志村克彦も、共に作者の分身と言えよう。この作品で見逃せないのは、志村や上原のように駿介の決断に対して異を唱える人物を配したことだ。帰農するからには、農村の現実と当然向き合わなくてはならない。作者はそのことを十分認識していたはずである。農民たちのエゴイズムも作者は書き入れていた。それにもともと大学では農学を学びたいと思っていた彼である。彼が農業をやりたいと言い出したこと自体突飛なことではない。
 従来、作者の真摯な態度を認めつつも、それがファシズム体制下の国策に絡め取られていった事実から『生活の探求』が不当に評価されていたきらいがある。今こそ『生活の探求』は正当かつ丹念に読まれる必要がある。