(65)『永遠なる序章』

椎名 鱗三  『永遠なる序章』 2010年9月

小田島 本有    

 自分が死すべき存在であることを意識したとき、いかに生きるかという問題と人間は本当の意味で向き合うことができる。このような実存的問いかけをしているのが『永遠なる序章』の砂川安太である。
 全編を通して印象的なのは、彼が絶えず微笑を浮かべていることだ。しかし、その彼も最初からそうだったわけではない。16歳のとき、最後の家族であった母親に死なれ、希望を失った彼には言問橋から身投げをした過去もあった。その後も、戦闘帽をあみだにかぶり、世の中を小馬鹿にした歩き方をするのが彼だったのである。
 その彼が、竹内銀次郎のもとを訪れる。本人にもその理由は分からない。このとき医者でもあった銀次郎にレントゲンを見せて、はっきりと余命がどのくらいなのか教えて欲しいという願いが安太には潜在的にあったのではないか。銀次郎は気休めの言葉をかける人間ではなかった。事実、彼は安太に「半年? 三月ぐらいだろう。そしたら死ぬんだ」と述べている。その銀次郎は絶えず「死にてえな」と言わずにはおれない人間だった。
 余命が明確になったことは安太に大きな変化をもたらした。周囲が非常に新鮮なものに映り、何よりもそれまで世をすねていたはずの彼が人々に何かせずにいられなくなったのである。その対象は、銀次郎の妹登美子であったり、下宿の大家でもある松本おかねであったり、あるいは外食券食堂の主人夫婦であったりする。
 やがて銀次郎は登美子を巻き添えにして死ぬべく自宅に火を放つ。このため銀次郎は死に、登美子はショックのあまり気が触れる。安太の微笑に応えるべく疲れたような微笑ばかり浮かべていたそれまでの彼女は、決して心から笑ってはいなかった。兄を「けだもの」と呼んでいた彼女は、おそらく銀次郎に肉体関係も求められていたのだろう。借金とりにも彼女は追われていた。その彼女が精神を患い、にこにこしている姿は実に印象的である。
 死んだ銀次郎に対し、安太は「あなたは一つの立派な永遠なる序章だ」と尊敬をこめて語りかける。常に安太に対して悪態をついていた彼だが、一度だけ彼は別れ際何か言おうとした。このとき彼が言えたのは「お前はいい男だ」ということだけである。それまで死を忘れたように微笑を浮かべて他人に対し献身的に動こうとする安太を「奴隷根性」と罵っていた銀次郎は、このとき自分の間違いに気づいたのだ。自分を理解してもらえたことが銀次郎への尊敬の言葉となったのに違いない。そして、結末で安太もまた一つの「永遠なる序章」として微笑とともに葬り去られるのである。