(66)『広場の孤独』

堀田 善衞  『広場の孤独』 2010年10月

小田島 本有    

 『広場の孤独』は朝鮮戦争勃発から赤追放令(レッドパージ)へ至る状況の中、そこで翻弄される人間たちの姿を描いた作品である。この当時、日本はまだ占領下にあり、独立国家ではなかった。
 この作品では、commit(コミット)という言葉がしばしば登場している。その点から言えば、新聞社の臨時手伝いをしている木垣幸二が、電文中のcommitment(コミットメント)という言葉にぶつかり、吸い付けられる冒頭の場面は極めて象徴的であった。人間が生きていく以上、他者と関わり、何らかの組織に属することは避けられない。人は何かにcommitすることで、自らの変容を余儀なくされる。そのとき新しい自分が生まれるのであり、そこに期待と不安が同居するのも必然の理なのである。
 木垣には、例えばティルピッツ男爵から何の断りもなく内ポケットに入れられた1300ドルの大金、あるいは御国から示唆された共産党への入党、さらには原口副部長から誘われた警察保安隊での仕事など、さまざまな選択肢が次から次へと現れる。彼は2年前、S新聞社を退社し、それ以降は同棲する京子と共にさまざまな翻訳の仕事を請け負って暮らしをつないできたが、朝鮮戦争勃発と共に忙しくなったある新聞社で10日ほど前から臨時手伝いをしている。めまぐるしい毎日の中で、彼は自分がいかなるスタンスを取るべきか、絶えず自問自答を続けていく。
 前妻との離婚はまだ成立していない。その一方で京子との間には2歳になる子供がいる。京子はかつてドイツ大使館の上海情報処に勤めていたころ、「意識せざる三重スパイ」をしていたことを後悔し、原因不明の熱病や神経衰弱に陥ったこともあった。これもまた一つのcommitの姿に他ならない。彼らが海外脱出を願うのも、自らの不安定な立場が背景にある。
 作品では<小説>を書きたいと願う木垣の姿がしばしば描かれる。しかし、それまでの木垣にとってそれは実に漠然としたものであった。彼にとって一つのターニングポイントは、偶然目にした¨Stranger in Town″(邦題『巷の異邦人』)という本のタイトルに惹かれ、任意のstrangerが周囲の交叉し対立する現実に対応しつつ己の立場を選ぶ小説を思い描き、「広場の孤独」という意訳が頭に思い浮かんだときであった。そして、ティルピッツから差し入れられた大金(その金で彼らの海外脱出は十分可能だった)を燃やし、その直後にレッドパージの報告を受けるに及んで、木垣には「眼に見えたものは表現しなければならぬ」という切実な思いが湧き上がる。生れて初めて祈り、「広場の孤独」と書いたとき、彼は積極的に執筆という行為に踏み出そうとするのである。
 彼に初めて書くべきものが具体的に見えてきたのだ。