(70)『太陽の季節』

石原慎太郎 『太陽の季節』 2011年2月

小田島 本有    

 1955年(昭和30年)に芥川賞を受賞し、『太陽の季節』が社会的ブームになったことはよく知られている。映画化もされ、「太陽族」という言葉も生まれた。竜哉が自らの陰茎で障子を突き破る場面は当時としては衝撃的であり、世の大人たちの顰蹙も買った。
 しかし、半世紀を経た今改めてこの作品を読み返してみると、竜哉の未成熟さが全編を通して強く印象に残る。彼は玄人、素人を問わず数多くの女性たちと交渉をもったが、女性と正面から向き合うということはしてこなかった。彼は彼女たちといわば本質的な関わりを持つことを避けてきたのである。「何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」という英子の言葉は、その点からすればこの作品を考えるうえで極めて重要だ。
 竜哉も英子も次から次へと異性を変え、それが単に新しさを求める行為であったという点ではまさに似た者同士であった。しかし、二人が肉体関係をもったことで、英子は「愛し得た」という実感を味わった。人間は本来孤独なものであり、だからこそ他者を求める。そのことに英子は気づいたが、竜哉は何ら変わることがない。そこに後の悲劇を生み出す大きな要因があった。
 やがて英子は妊娠する。彼は当初「赤ん坊がいたって悪かねえやな」と言っていた。しかし、彼は一ヶ月も時間を引き延ばした挙句、子供の始末をするよう英子に伝える。その決心も多分に気まぐれ的な要素が強かった。  このとき胎児は四ヶ月を越えていた。英子は竜哉に翻弄されたと言わざるをえない。このため掻爬(そうは)手術は困難となり、帝王切開が行われ、手術後四日、英子は腹膜炎を併発して亡くなった。
 不可解なのは、子供の始末をすることが予期されていたにもかかわらず、なぜ英子が早く堕胎をしなかったのかということである。時間の引き延ばしが自分の身を危うくすることは誰よりも本人が知っていたはずだ。妊娠を告げる以前に、英子は自分がようやく素直に愛することができるようになったことを告げ、「二人とも片輪だったのよ。皆だってそうかも知れない。でもそれはきっと直せるのよ」と語っていた。英子は妊娠を契機に竜哉が変わってくれることを期待したのではなかったか。それはあまりにも愚直な姿であった。
 竜哉には明らかな誤解があった。それは英子を叩いても壊れない玩具と思い込んだことである。彼の残酷な行為はだからこそ可能だった。しかし、言うまでもなく英子は生身の人間であり、嫉妬もするし、傷つきもする女性である。彼女の死を自分に対する一番の復讐だと受け取ってしまう竜哉。彼はここからこそ脱する必要がある。