(71)『金閣寺』

三島由紀夫『金閣寺』 2011年3月

小田島 本有    

 実際に昭和25年に起きた金閣放火事件を題材に、三島がいわば観念的私小説を試みた作品、それが『金閣寺』であった。
 「私」(溝口)にとって金閣の美しさは絶対のものであった。それは幼い頃から父親がその美しさを絶えず語っていたからである。ただ、ここで注意しなくてはならないのは、「私」が囚われていたのは「現実の金閣」ではなく、あくまでも「心象の金閣」であったという事実である。「私」は吃音ゆえに周囲からの孤立を余儀なくされていた。「私」が観念の世界に閉じこもることができたのもそのような背景が大きく影響していたのである。
 父親は第一章で死に、姿を消してしまうが、この父親の影響力は「私」にとって計り知れないものがあった。この父親は同じ蚊帳の下で寝ていたとき、妻と親戚の倉井が不徳を働く場面を目の当たりにして、息子の「私」の眼を塞いだ男でもあった。息子に対しては美しいものを殊更教え、醜いものは排除する。それが彼のいわば教育理念だったのである。金閣はその象徴でもあったのだ。
 「私」がほんの一瞬垣間見た性の光景は恐ろしいものであったし、それを覆ってくれた父親は確かにそのとき庇護者であったに違いない。しかし、「私」もやがて大人へと成長する。「私」がいざ女性と行為に及ぼうとするとき必ず金閣が現れ、阻止してしまうに至り、「私」にとって金閣は呪詛の対象へと変容せざるをえなかった。「私」がついに金閣への放火に踏み出したのは、これが究極的に父親の呪縛からの解放を願う行為に他ならなかったからである。
 「私」は金閣の炎に包まれて自ら滅びることを望んでいた。しかし、いざ究竟頂(くきょうちょう)で果てようと赴いたものの扉が閉ざされており、そこで死ねないことが分かったとき、「私」は外へ飛び出したのである。
 「現実の金閣」は確かに消失した。だが、「私」の観念の中の「心象の金閣」は決して消えることはない。「私」は放火の行為によってそのことを知ったのである。これからも生きていかなければならぬ「私」は、行為の無効性を知りつつ、現実世界を渡っていかねばならない。そのとき、「心象の金閣」とどう向き合っていくのかが「私」の課題なのである。
 かつて表現の衝動に見舞われたことがなかったという「私」は、今自らの過去を語っている。結末で、「生きようと私は思った」と述べる「私」にとって、この「語る」という行為そのものが「生きる」ことに他ならないのだ。