(105)『三匹の蟹』

大庭みな子『三匹の蟹』 2014年1月

小田島 本有    

 アメリカに暮らす日本人夫婦、武と由梨。自宅で催されるブリッジ・パーティに馴染むことができず、口実を設けて家を出た由梨が行くあてもなく、アラスカインディアンの民芸品の展覧会場を訪れ、そこで出会った男と「三匹の蟹」という安宿で一夜を過ごす、というのがこの作品のあらましである。
 この作品では結末部分が冒頭に描かれていた。由梨の目の前には霧に覆われた海が広がっている。目を落とすと二匹の蟹が這っていた。バスに乗るものの、20弗(ドル)紙幣が抜き取られていることを知る。何とか1弗紙幣が見つかり、バス料金は払えたものの、窓外の海と「三匹の蟹」のネオンを代わる代わる見つめる由梨の心に去来した思いはいかなるものだったのか。
 そもそも、この日のパーティを訪れた客は、フォークナー研究家のフランク、物理学者の横田とその夫人、教師のロンダ、学位論文執筆中の松浦嬢、バラノフ神父、歌手のサーシャ、というように、いわゆるインテリ層である。ホスト役の武も産婦人科医であった。時代はベトナム戦争のさなか。しかし、このパーティでそのことが話題にされることはない。しかも、作品の中では由梨とフランクに身体の関係があったことが仄めかされてもいる。フランクが時折見せる「挑むような眼つき」「刺し通すような眼」といった表現は、表面的にはおだやかなパーティの裏側を覗かせている。
 由梨が「桃色シャツの男」とゆきずりの関係になったのも偶然的要素が強い。彼女が身体の平衡を失って倒れたり、靴の踵が擦り切れて皮が紐のようにぶらさがったり、はたまたハンド・バッグを忘れたりするようなことがなければ、このような展開にはならなかったはずである。桃色シャツは本人曰く、「四分の一、エスキモーで、四分の一、トリンギットで、四分の一、スヰーディッシュで、四分の一、ポール」という混血の男であった。途中から彼は彼女に関心を持ち始めたようだが、一方の彼女が彼に心が傾斜している様子は伺えない。彼女は彼を振り払うのに億劫さを感じており、ジェット・コースターに乗っているとき彼に抱き締められていても「振りまわされる猫のように孤独」だったのである。言ってみれば、彼女はただ流されていたに過ぎない。
 それだけに、一夜を明かして気が付いてみると彼の姿はなく、しかもバスに乗車した際に20弗紙幣が抜き取られていたことを知ったとき、彼女は自分を対象化できる位置に立てたのではないか。彼女はこれから自宅へ戻る。10歳の娘の梨恵は、これまでも母親に対してやや批判的であり、どちらかというと父親に対して同情的であった。ほんの2、3時間のつもりの外出が朝帰りとなった今、由梨はその状況に正面から向き合うことを求められている。