(127)『天うつ浪』

幸田露伴『天うつ浪』 2015年11月

小田島 本有    

 『天うつ浪』は連載途中に中断があり、結局のところ未完に終わった小説だった。その後露伴が小説を書かなくなってしまったという点でも、前半と後半では作品の趣が大きく変わってしまったという点でも、何かと問題の多い作品であったと言わざるを得ない。
 宇都宮の二荒山神社の神前で互いの志を誓い合った七人の青年たちがいた。七年後、その中の一人である羽勝千造が遠洋漁業から帰ったということで酒宴が持たれる。北海道に住む二人は仕方がないとしても、一人顔を出していない仲間がいた。それが水野清十郎だったのである。
 水野は学校の教師。同僚の岩崎五十子を恋しているが、彼女には徹底して拒否されている。作品の中では一度も五十子は登場しない。五十子がなぜ水野を嫌うのか、その理由は判然としないが、彼女が病に伏せ、それが腸チフスと分かると水野は彼女を病から救うべく献身的に動く。その中にあって彼女の弟松之助は彼を兄のように慕っている。
 その水野はかつてニイチェの「ツァラトゥストラ如是説」の愛読者だった。しかし、五十子の容態がままならない中、彼が訪れたのは浅草寺である。そこでニイチェにかぶれたとおぼしき書生二人が本能主義を標榜して放言する姿に不快を覚え、一方で読経する老人と近づきになり、彼から『法華経』普門品を渡される。
 水野は自身を失っていた。それが彼を浅草寺に赴かせたのである。自己の無力さを痛感することで彼は変わりつつあるのだ。傍若無人とも言える書生たちの姿はかつての水野自身そのものであった。
 五十子は血の繋がらない母の関とも絶縁していた。関は芸事の師匠であったが、その彼女から娘同様に目をかけられていたのがお龍である。関は五十子と水野についてお龍に悪し様に語っていた。
 ところが、汽車の中でたまたま体勢を崩して踏んづけてしまったのが水野の足。そのときの彼の対応ぶり、あるいは彼の手にしていた普門品に注意が行き、お龍は彼を好ましく思い始める。五十子のためにお百度を踏みに行った先で彼女は水野に会い、その後彼女は彼に会うことを期待してお寺に通う。そして、彼を罵る関に対して不快を覚え、離反を考えるようになるのだ。
 周囲の誹謗が影響し、水野は校長から退職を勧告され、自身もそれに従う。お龍はこのことを知り、職の斡旋ができないかと動き始める。この後の展開は作品が未完となったため、我々読者は知ることができない。
 この作品が発表される前、高山樗牛の「美的生活を論ず」を発端にいわゆる「美的生活論争」が行われていた。この論争に露伴自身は参加していない。しかし、彼は彼なりにニイチェを受容していた。結果はともあれ、『天うつ浪』は論争に与することを潔しとしなかった露伴が彼なりのスタンスを示そうとした意欲作だったのである。