(128)『一兵卒』

田山花袋『一兵卒』 2015年12月

小田島 本有    

 田山花袋は日露戦争の際に従軍記者として戦地に赴いている。『一兵卒』はそのときの体験を下敷きにして書かれた作品だ。
 この作品は「渠(かれ)は歩き出した。」の一文で書き出されている。日露戦争でひっそりと死んでいく一兵卒の姿を描いたこの作品では、主人公に固有名詞は与えられない。その彼の名が読者に知られるのは、結末近く。彼のそばにあった隠袋の中から軍隊手帖が取り出され、そこには「加藤平作」の名前が書かれていた。
 『野火』(大岡昇平)の主人公はわずかばかりの食糧と手榴弾を与えられた末、部隊を追い出された。その結果飢えと病気の中ジャングルを彷徨することになったのだが、『一兵卒』の場合、主人公は医者が止めるのも聞かず自発的に病院を出ている。彼が耐えられなかったのは病院の劣悪な環境であり、何よりもまずは原隊に追いつきたいという焦りがあった。だが、この行動が結果的に彼の命を縮めることになったのは疑い得ない。事実彼は後で自分のこの行動を後悔している。要は思慮が足りなかったのだ。
 彼は田舎の豪家の若旦那。金にも困らなかったし、遊びもやった。「あの頃は楽しかった」と彼も回想している。国には若い妻もいる。出征当初、彼は自身が国のために身を捧げることに何の疑いも抱いてはいなかった。それは結局のところ、彼が戦争や軍隊の実態を知らなかっただけのことであり、やがて事実の過酷さを彼は戦地で目の当たりにすることになる。銃弾が撃ち込まれ、隣にいた兵士が呆気なく死んでしまう。この兵士は「善い男」だった。しかし、そのことは何の慰めにもならない。
 彼はようやくのことで新台子の兵站部に辿り着くが、そこは雑踏を極めており、とても医者に診てもらえる状況ではない。洋館の入口に酒保があり、その奥に寝られる場所があると教えられ、彼は到着して倒れる。足の気怠さは今や疼痛に変わっていた。胸もむかつく。彼は脚気衝心を起こし、もはや死を逃れられない状況になっていたのである。輾転反側し、彼は「苦しい! 苦しい!」と声を上げざるを得ない。
 この声を聞きつけた酒保の男が兵士を伴って彼の元を訪れたのは午前2時過ぎのことだった。この時間にわざわざ来てくれる医者などいない。「気の毒だナ。」「本当に可哀さうです。何処の者でせう。」という会話が彼の耳に聞こえ、彼は自らの死を自覚する。
 明け方に軍医が訪れたとき、既に彼は死んでいた。戦争で兵士が死ぬのは敵の弾に撃たれるばかりではない。このような死に方をした人は決して少なくなかったのである。
 花袋は無名の一兵卒の死を克明に描くことで戦争の一面を浮き彫りにした。あの大反響を起こした『蒲団』が発表されて4か月後のことである。