(153)『かくれんぼ』

斎藤緑雨 『かくれんぼ』  2018年1月

小田島 本有    

  斎藤緑雨は「恋は神聖だといふ説が癪にさわツた」ことが『かくれんぼ』を書く動機だったことを「作家苦心談」の中で述べている。恋愛の意義を熱く語る北村透谷の『厭世詩家と女性』が発表されるのは『かくれんぼ』の翌年にあたる明治25年のこと。このような風潮への反発が作者の側にあったのは明らかだが、この作品は江戸文学に由来する修辞的文体で書かれており、さまざまな古典作品を下敷きにしているため我々現代の読者にとっては注釈をいちいち参照しないと理解できないことも多く、決して読みやすい作品とは言い難い。
 作品そのものは良家の青年で秀才の誉れも高かった山村俊雄が友人に誘われて花柳界に触れ、それをきっかけに次から次へと芸者と浮名を流し、最終的には「名代の色悪(いろあく)」に変貌していく様が綴られている。しかも彼が関わった芸者たちの名前が小春、お夏、秋子、冬吉、小露、雪江となっており、さながら季節の流れを象徴させるような命名がされているあたりに作者の趣向が伺える。
 小春に出会った頃の俊雄はうぶそのものであった。だが、やがて小春に慣れ、彼女の一番の仲良しであるというお夏を紹介されてからは、店で3日連続お夏を指名する変貌ぶりである。嫉妬に駆られた小春を俊雄がなだめるに至って、語り手は彼のことを「色男の免許状を拝受」と評している。その後秋子のところに入り浸りになると、その逢引きの現場を小春、お夏に押さえられ、やがて秋子が山水という長者のもとに身請けされると俊雄はやけ酒を飲む始末。だが、今度は彼より2歳年上の冬吉が俊雄に入れ込むようになり、冬吉は俊雄から祝儀を取らず、俊雄は情夫となった。その結果彼は冬吉の元に入り浸り、欠勤続きの自堕落生活に陥った。だが一緒に暮らしてみると冬吉にも飽き始め、今度は冬吉お抱えの小露に彼は興味を示し始める。しかしこれが露顕して冬吉に詰め寄られたため、俊雄は目が醒めて実家に戻ったものの、彼が身を慎んでいられたのはほんの2、3カ月だった。今度は俊雄に興味を抱いていた雪江が姉分のお霜に依頼して会うと、また状況は元の木阿弥となり、さらには冬吉と縒りを戻すことにもなった。これを知った雪江とお霜は俊雄を非難する。俊雄は姓が「山村」だったため「村様」と芸者たちには言われていたのだが、「村様の村はむら気のむら」と雪江たちは酷評して触れ回る。
 作品中に、「おれが遊ぶのだと思ふはまだまだ金を愛(お)しむ土臭(つちくさい)料見 あれを遊ばせて遣るのだと心得れば好き(すか)れぬまでも嫌はれるはずは御座らぬ これ即ち女受(おんなうけ)の秘訣」という一節がある。粋な男の極意を伝える言葉だが、結末の俊雄は泥沼にはまっているという点で、無粋であるとさえ言えよう。