(159)『雨』

広津柳浪『雨』  2018年7月

小田島 本有    

  ずっと雨が降り続くということは吉松にとって仕事ができないことを意味していた。彼は紺屋職人つまり染め物屋である。ただし、彼は手間取職人といい一人前の職人ではない。
 彼にはお八重という妻がいる。お八重にとって吉松は自分を達磨茶屋の酌婦という境涯から救ってくれた恩人でもあった。お八重が苦界に陥ったのも、母親のお重が夫の一周忌も経たぬうちに遊び人と情を通じ、乱行の結果金に困ったからである。今年の春吉松と結婚したのをきっかけにお八重は東京で所帯を持ち、居所を母親には告げなかった。だが、娘の居所を探り当てたお重は毎日のように娘の家を訪れ、金の無心をする始末である。
 母子が喧嘩をし険悪になる中でも吉松はお重を邪険に扱うことをしない。可能な限り彼女の要求に応えようとする。彼は作品中でしばしば自らを「意気地なし」と称している。これは妻に貧窮生活を強いている自分の不甲斐なさを恥じる思いがあったからであろう。一方のお重は吉松に対して不満がある。娘にはもっと甲斐性のある男がいるはずだ。だが、吉松は娘が惚れた相手であるので仕方がないと思っていたのである。
 こう長雨が続くのであれば、預かっていた着物をいったん客に帰すという話が親方からあったという。そう言い置いて吉松は自宅に置いてあった着物3品を持って外出した。その日帰宅した吉松は、金を借りることができたといって多くのものを買ってくる。食卓は珍しく賑わい、お重にも3円が手渡された。だが、このときの吉松の態度は落ち着きがなく、顔色も青ざめている。この金の出所を察知したのはお重であった。「お八重や、お前も能く考へて見るがいいよ。見切るんなら今の中だ。飛んでもねえ掛合にならねえやうに、気を付けなよ」。帰り際に娘に対して発せられた言葉がそのことを如実に示している。
 やがて天気は回復したが、吉松は相変わらず元気がない。仕事にも行かずにいたところ、親方からの使いが来て、預けたものをすぐ持ってくるようにとの督促があった。このようにして事件は発覚し、お八重の知るところとなる。吉松が着物を売って得た金は全部で15円であった。
 もともと吉松は客から預かった着物を大切にする男である。雨に濡れて帰宅し、裸同然で火に当たっていたとき、お八重が結城紬の袷の引解(ひきとき)にしたものを持ってきて、どうせ洗い張りをするからと彼に着せようとしたが、彼は「お客の物を着ちやア済まねえ」と断っていた。「吉ん処では、客の物を着やアがるといはれてもならねえ」という。その彼が不始末を犯したのである。
 窮したお八重は再び八王子に自分が戻ることを提案するが、吉松は承知しない。それからほどなくして二人は失踪した。二人が心中をしたのか、あるいは今でも生きているのか、我々には知る由もない。