(160)『拈華微笑』

尾崎紅葉 『拈華微笑』  2018年8月

小田島 本有    

 「拈華微笑(ねんげみしょう)」とは、言葉によらず心から心へ伝えて理解すること、すなわち以心伝心を意味する四字熟語である。釈迦が大衆説法した際に弟子の一人だけがその真意を理解して微笑したことに由来する。
 ところが、尾崎紅葉のこの作品では、互いに相手に心を惹かれ合う男女が会話を交わすことなく、しかもそれぞれの思い違いによって結ばれることがない話が描かれている。紅葉はなぜこのようなタイトルをつけたのか。
 この作品は「烏官員」と陰で囁かれる「偏屈者」の側からの視点で語られている。同僚との付き合いはなく、女っ気もないという堅物男。ところが、やがて毎日出勤の途中で同じ場所、同じ時刻にすれ違う車上の女を認識するようになる。そして、たまたま女の見せた「微笑」に応じたことが彼女に心を傾斜させる引き金となった。すれ違うことのできない休日は彼にとって物足りない。交わす会釈が親密の度合いを増すにつれ、彼女や車夫が怪我をせぬ程度に目の前で車が倒れればそれをきっかけに近づきになれる、などと彼が夢想するあたりは微笑ましくもある。
 ところが父の命日に母、妹と墓参に訪れたとき、偶然彼は彼女と出くわす。向こうは五人連れであった。亭主らしき男が同行していたことで彼の心は動揺する。それ以後二人はすれ違ってもよそよそしくなり、いつしか女の車を見ることもなくなってしまった。
 ところが作品の結末で同僚から聞いた話は彼を驚かせる。課長には娘が二人いて、姉の方は望まぬところへ嫁いだことが災いしたのか早世した。このため父親は妹の方は好きな男と結婚させたいと思っていたという。そのようななか、この娘は毎日学校へ行く途中ですれ違う男に心を惹かれるようになったとのこと。たまたま母や兄と寺参りをした際、例の男と出会ったが、彼が妻らしき女と一緒にいたことで望みを失ったそうだ。そして父親の縁者で、ベルリンから帰国したばかりの「どくとる丸山某」との結婚に踏み切ったのだという。既に結納を済ませ、今年中には輿入れとのことだった。
 この二人は墓参で偶然出会った際、道連れの人間を配偶者であると思っていたのである。歯車の掛け違いであった。この原因は詰まるところ、互いのコミュニケーションン不足である。全く接点がない二人の状況を思えば、これは無理からぬことであった。「拈華微笑」の状態はこの二人の場合、ある時期までは順調であったし、相手も自分に好意を寄せているらしい、というのも決して思い違いではなかった。我々は通常「以心伝心」という言葉を肯定的な意味合いでよく使う。しかし、そのことに慢心すると足元をすくわれかねないというメッセージが「拈華微笑」というタイトルに込められているのかもしれない。