(165)『子供役者の死』

岡本綺堂『子供役者の死』   2019年1月

小田島 本有    

  慶応初年の頃、甲州のある町に江戸の子供役者の一座が乗り込んだという。彼らは大人気だったが、とりわけ評判を呼んだのが六三郎だった。当時16歳の「娘形専門の綺麗な児」と作品では形容されている。この彼をとりわけ贔屓にしたのがお初という女であった。彼女は年齢が25、6歳ということであったが、共に江戸の出身ということで話も合い、六三郎の様子がおかしいと周囲の眼にもつくようになっていた。
 このお初、実は吉五郎という博奕打ちの妾であった。当然このことを危惧する周囲は六三郎に忠告する。だが、彼女を六三郎が思い切れるわけもない。作品の中では、彼がしばしば女の子のようにしくしく泣く場面が描かれている。
 その彼が吉五郎のところに子分たちに連れて来られるはめになった。吉五郎は自分の隣に六三郎を座らせ酒を強いようとする。未成年であり下戸でもある彼はまともに応じることさえできない。「あの屏風をあけろ」との吉五郎の声で、目の前に現れたのは後ろ向きになって倒れていた女の姿であった。しかも女は血だらけである。六三郎が驚いたのは言うまでもない。「お前はあの女を知っているかえ」との問いに、六三郎は「いいえ、存じません」と心にもない嘘をついた。このあと六三郎は帰されたが、このとき以来彼は様子がおかしくなり、舞台で倒れて以降身体が衰弱し、とうとう若い命を落としてしまうことになる。
 一方、お初は死んでいなかった。お初は吉五郎に六三郎への思いを告白したが、そのことに吉五郎は憤ることがなかったのである。それどころか、自分が二人を一緒にさせてやろうという。ただ、相手のお初への思いが本物かどうか試したい、ということで考え出したのが先述の一件だった。六三郎の「存じません」の一言に、吉五郎は「こりゃア駄目だ」と見限った。死んだふりをしていたお初も六三郎の言葉に悔しい思いをし、後で吉五郎の前に手をついて自分の不埒を詫びたという。
 もともと女々しいところがあり、年端もいかない六三郎があのような言葉を発してしまったことは、この時の状況を踏まえると無理からぬところがあったとも言える。だが、ここで忘れてならないのは、いざというときに彼が発した言葉は全くの自己保身であったという事実である。目の前のお初の生死が定かでない状況の中で、彼女を思いやるどころか、彼女を切り捨ててしまった。この態度が吉五郎のみならずお初をも落胆させたのである。この後六三郎が衰弱していったのも、後悔の念からであったというよりも、むしろ目の当たりにした光景の恐ろしさに憑りつかれた結果と見るべきではないか。
 いざというときにその人間の本質が浮かび上がるという真実をこの作品は過酷なまでに伝えている。