(197)『出発は遂に訪れず』

島尾敏雄『出発は遂に訪れず』  2021年9月

小田島 本有

 このタイトルが作品をすべて言い表している。「遂に」という言葉は、それだけ「私」がその時を待ち続けていたということだ。
 ここで描かれているのは1945年8月13日夕方から15日までの二日余り。「私」は52名の特攻兵をまとめる予備士官。13日の夕方に特攻戦発動の信令を受け取ったものの、その後の指令がない。安堵と失望が交錯する不思議な思いに「私」は捉えられる。
 ご多分に漏れず、「私」も特攻出撃を「光栄」と捉える人間の一人であった。「私」は自ら主役を演ずることができる劇を心に描いていた。その劇は「私」の死によって完結する美しい物語である。その一方で、「私」は地元の住人の一人であるトエと人目を忍んで逢瀬を重ねる。迫る死という宿命の中で、二人の心が高揚していたであろうことは疑いない。
 14日になっても敵の飛行機はやってこない。その静けさが「私」をさまざまな想像に駆り立てる。敵はこの土地を見捨てたのだろうか、あるいは味方の作戦が功を奏したのか。
 真夜中近く、「カクハケンブタイノシキカンハ、15ヒショウゴ、ボウビタイニシュウゴウセヨ」という連絡があった。翌日防備隊に向かう途中で「私」の脳裏に「ニホンハコウフクシタ」という考えが浮かぶ。そして「私」は航海長と出会い、日本の無条件降伏を知らされる。玉音放送後、特攻参謀に呼ばれ、こちらからの指示があるまで今までと同じように待機してほしいこと、さらに思い詰めて単独行動をしないよう諭された。玉音放送直後、大分の特攻司令長官が部下8機をしたがえて特攻突入をしかけたことが作品の中では語られている。特攻参謀の危惧は決して杞憂ではなかったのである。
 「私」は隊に戻り、部下たちに無条件降伏を伝えた。そのとき、年配者の面上に一瞬「安堵の色」が浮かんだのを「私」は見逃さない。年若な部下たちには「鋭角な抵抗感」が浮かんでいた。
 夜になって、多少酔った下士官が「私」のもとにやってくる。彼は「今度の戦争の責任は、士官がとらねばなりませんよ。(略)覚悟しておかれないといけませんよ。士官は全部処分されるかも分かりません」との言葉を言い残していく。この下士官はまだ節度があった。彼は他の兵隊たちが馬鹿なことをしないよう、見回りに出かけていく。
 戦争は終結した。だが、これから乗り越えなければならないハードルは幾つもある。「私」は起き上がって日本刀を取り、それをベッドの中に入れた。もちろん我が身を守るためである。「私」は大分の特攻司令長官のような行動をするつもりはない。だが、そのことに我慢できない部下が暴挙に出ることは十分考えられる。「殺伐な気持」を抱えながら、「私」はこの時間を乗り越えようとしている。