(198)『薔薇と巫女』

小川未明『薔薇と巫女』  2021年10月

小田島 本有

 この作品は「彼」が不思議な夢を見る場面から始まる。ちょうどその頃、母親が病気であった。この夢の中で彼は月明かりのもと沙地(すなち)を彷徨い、清水の湧き出る音に誘われて歩くうちに雲が月を覆い、薄暗いなか出会ったのが黄色い薔薇の花である。
 そして母親が亡くなることで、この夢は彼にとって忘れがたいものとなった。もともと学問があり、迷信を信じようとしなかった彼が世の中に不思議な話に興味を持つようになったのは、実に大きな変化であったと言える。
 その矢先、彼が耳にしたのは大病で死んだ娘の元を一人の巫女が訪れ、呪文によってその娘の息を吹き返させたという話であった。その巫女がそこから50里ばかり南方のX町にいると聞き、彼は彼女に会うべく旅を始める。途中泊めてもらった婆さんはその巫女に関する話を聞かせてくれる。生まれた時から蛇や鳥の鳴き声を聞き分け、人の生死を判じたのだとのこと。蛙や蛇を食べることを好むので、家人はこの娘を世間から隠そうとした。その家には老人が一日ずっと門番として立っていたという。
 ある時、娘は門から抜け出した。だが、その後の彼女の消息はよく分からない。諸国を巫女になって歩いているとも、あるいは家に連れ帰されて座敷牢に入れられているとも噂されている。
 そして、とうとう彼はX町に到着する。地元の人に「幽霊家敷」と呼ばれている目的地を訪れるが、そこは古い大きな建物の跡があるだけであり、娘に会うこともかなわなかった。  彼は故郷に戻り、娘を失った母親と再会する。巫女を見たかと問われたが、彼女が亡くなっているとは彼には答えられなかったのである。だが、このとき母親は「いえ、また夏になったら、この村へ入って来るような気がする……」と、彼に語る。
 結局、彼はX町を訪れたが徒労に終わったという印象が残る。だが、彼には明らかな変化があった。それは「彼の頭はぐらぐらとして理屈ではない、ただ夢知らせというものを信じない訳にもゆかない気がした」との一文に、端的に示されている。それまで「迷信」として歯牙にもかけなかったものに対して、もはや彼は無頓着ではいられなくなったのだ。
 この作品では、冒頭から彼の家の前後に「白い花」「紅い花」があり、歩きながらも「色の褪めた花」「黄色な薔薇の花」、さらには「月を隠した雲の色は、黒と黄色に色彩られて、黒い鳥の翼の下に月が隠れたように見えた」という表現が出てくるなど、実に色彩表現が豊かである。さらに想像をたくましくすると、「薔薇」の「薔」という感じの中に「巫女」の「巫」が含まれていることにも、作者なりの意図があったのかもしれない。
読者の想像を刺激する作品とも言えようか。