(201)『憂国』

三島由紀夫『憂国』  2022年1月

                小田島 本有

 昭和の年号と自らの年齢が合致した三島にとって、青春期の戦争時代は極めて大きな意味を持っていた。戦争に召集されそこで潔く散ることを願っていたのは、当時の若者たちに共通した認識だった。それだけに入隊検査で右肺浸潤と誤診されその願いがかなわなかったことは、その後の彼に大きな欠落感をもたらすことになる。
 『憂国』は2・26事件に仲間の青年将校たちが蹶起したなか、声をかけられなかった武山中尉とその妻麗子が自刃するに至るまでのプロセスを描いた作品である。二人は結婚して半年にも満たなかった。武山に声がかからなかったのもそのためだった。武山にとって辛かったのはそのことばかりではない。仲間たちは勅令によって叛乱軍と見なされようとしていた。そうなると、武山は彼らを討つ側に回らねばならない。武山にとってそれは絶対にできぬことであった。
 武山と麗子は非常時ということもあって新婚旅行にも行っていない。そしていざという時の覚悟を、新婚の夜から「黙契」という形で互いに確認し合ってもいた。仲間たちの蹶起から二日間、武山は帰ってこない。その間、麗子は状況をつぶさに知るようになり、夫が迎える運命を確実に把握していた。帰宅後、夫が「俺は今夜腹を切る」と宣言したときも決してたじろがず、「覚悟はしておりました。お供をさせていただきとうございます」と麗子が即座に応じているのは、夫の不在中に彼女の中にも決意が強固になっていたことを伺わせる。
 夫は先に自分が切腹をするのでそれを妻に見届けてほしいと願い出る。ここには妻に対する「第一の信頼」がある。そして「第二の信頼」は自分が自害した後、妻が確実に死ぬということである。
 この後の二人の最後の交わりの場面は、やがて来たる死を前にした厳かな儀式のようだ。若い二人(夫30歳、妻23歳)の欲望は至上の歓びをもたらす。ここから二人が自害に至るシーンは作品中でもとりわけ光彩を放っている。
 この作品が書かれたのは1961年(昭和36年)、『金閣寺』が発表されて5年後のことであった。周知のように『金閣寺』では戦時中に金閣とともに滅亡することを願いながらそれがかなわなかった主人公が、戦後の状況に違和感を抱きながらついには金閣に放火をする経緯が語られていた。主人公は最後に、「生きようと私は思った」と述べている。しかし、放火を犯してしまった主人公に訪れるのは刑務所での暮らしであり、彼が抱いた生の意志は極めて限定的なものにならざるを得ない。
 『憂国』の9年後、三島は市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をする。『憂国』の執筆は三島に自害を明確に意識化せるきっかけとなったと言えよう。