高橋 和巳 『悲の器』2011年10月
『悲の器』は高橋和巳が31歳のときの作品。主人公が55歳の刑法学者であり、老いを自覚する場面を作者が書き入れているところに読者は驚きを感じるかもしれない。高橋は39歳でこの世を去るが、既にこの時点で自らの短命を予感していたのであろうか。
この作品は刑法学者正木典膳が語り手となっている。作品の冒頭では、彼が家政婦米山みきから訴訟を起こされたことが語られるが、この作品はたんなるスキャンダル小説ではない。彼は宮地教授の指導を受けた研究者であったが、戦前の思想弾圧の風が吹き荒れるなか、同門であった荻野は左翼運動に傾倒し、富田は失踪する。正木も助教授に昇格したものの、やがて検事へと転職し、恩師に一度は「自分の後継者が育たなかった」と嘆かせたことがあった。後年国立大学の教授に転身し、わが国の刑法学の権威に上り詰めた正木のような人間がいた一方で、左翼運動に挫折して転向し、最後は自殺をする荻野、さらにアナーキストとなって銀行襲撃事件に加担し落ちぶれてしまった富田のような人間たちが存在したことを、作品は丹念に語っている。
正木の妻静枝は宮地教授の姪であった。彼の昇進をこの結婚の恩恵と見なした人たちは少なくなかった。この夫婦に深い愛情があったとは言えない。それは、正木自身が書斎に向かう時間をまず優先し、妻や子供たちと向き合うことをなおざりにした事実と見合っている。雇った家政婦米山みきとやがて肉体関係をもつようになったのも、正木にとってそれはあくまでも性欲処理のためであった。彼女が妊娠したことが分かると堕胎もさせた。
静枝が亡くなり、事実上の内縁関係にあったみきと結婚するだろうと周囲は見ていたが、彼は知り合いの教授の娘である栗谷清子という若い女性と出会い、婚約を発表するに至る。このことがみきの心をひどく傷つけたであろうことは想像に難くない。当然のことながら、みきは訴訟を起こした。それに対し、正木は名誉毀損の訴えを逆に起こす。この一連のスキャンダラスな報道が正木の足下を揺らがせる第一歩であった。やがて学内で起きた警職法改正や教職員勤務評定に対する反対運動でのこじれから責任問題となり、進退伺いを出したところ、学長は正木の知らないところで着々と彼を退職に追い込む段取りをつけていた。正木はじりじりと表舞台から追われていくのである。
彼は法律の条文と向き合い、それを第一義とする生き方を貫いてきた。他者との人間関係に多くのものを求めなかった彼は、最後それにふさわしいものしか残せなかったと言うべきか。
作者は大学の研究者であった。研究者が陥りやすい落とし穴に気づいた彼は、このような形で自己の危険を回避しようと願ったのかもしれない。