(102)『由煕』

李良枝 『由煕』 2013年10月

小田島 本有    

 37歳という若さで急逝した在日韓国人、李良枝(イ・ヤンジ)が第100回芥川賞を受賞したのが『由煕(ユヒ)』である。作者自身がソウルでの留学生活を1年で切り上げた経験の持ち主であった。作品では、留学生・由煕を下宿人として受け入れ、半年間生活を共にした「私」が語り手となっている。
 作品は由煕が帰国してしまった時点から語り始められる。それまで下宿先を転々と変えてきた由煕にとって、最後の下宿先は叔母と姪の二人が温かく受け入れてくれる場所であった。事実、彼女は「私」を「オンニ(お姉さん)」、叔母を「アジュモニ(おばさん)」と親しみを込めて呼んでいる。その彼女が志半ばにして帰国した。由煕に去られ、叔母と語り合う中で「私」はさまざまな発見をしていく。
 在日韓国人である由煕が韓国に溶け込めるようにすることを「私」が自らの務めと思ったのはある意味で当然である。したがって、彼女が部屋に閉じこもって日本語の本ばかり読んでいること、自分たち以外の韓国人との接触を積極的に持とうとしないことは我慢のならないものだった。
 だが、このとき「私」は由煕の心の問題を見抜けずにいた。由煕は日本においては少数派であり、だからといって韓国へ赴いても心を落ち着かせることはできない。韓国を母国と思うことのできない彼女は、試験のときに「ウリナラ(母国)」という言葉をすんなり書けず、凍りついてしまう。「私」が由煕に対してしばしば行った忠告は、彼女の殻を打ち破り、彼女を真の韓国人にさせたいという〈善意〉によるものであった。だが、その〈善意〉こそが彼女を苦しめる。「私」は叔母が語る由煕の話から、自分の迂闊さを後に知らされることになった。
 由煕は448枚の日本語で書かれた事務用箋を「私」に残した。これを日本に持ち帰ることもできず、「できればオンニが処分して下さい。持っていてくれなくていいから棄てて下さい」と由煕は語っていた。「私」は日本語が読めない。しかし、ここには由煕がこの家に住むようになってからの思いが書き溜められていたのである。
 ここに何が書かれているのかは具体的に明示されていない。だが、そこに韓国の土地や言葉になかなか馴染めずに呻吟する彼女の心情が綴られていたであろうことは容易に推測し得る。由煕はそれを「預かってほしい」とは言わなかった。それが「私」の心の負担になることを知っていたからである。
 果たして「私」はそれを処分するのであろうか。答は否である。「由煕は、また韓国に来るかしら、私たちに会いに来てくれるかしら」と心配する叔母に対し、「私」は「来ますよ、きっと」と答える。処分するということは、彼女との縁を切り捨てることを意味する。「私」は今までとは違った視点で由煕を捉え直そうとしている。