尾崎紅葉『伽羅枕』 2016年1月
『伽羅枕』は吉原で評判の遊女となった佐大夫の一代記である。作品の後半「四十五」で「老後の佐大夫著者(われ)に語りぬ」という記述が登場し、我々読者はこれが本人が語り手に語ったものであることを知ることになる。しかも結末の「六十」では彼女が現在62歳であることも明かされているのだ。事実、紅葉はモデルとなった女性から話を聞いている。
生まれたときから親を知らずに養家で育てられ、そこが破産するとまた別の家に貰われるという暮らしの中で、彼女は島原へ売られることになる。これが12歳のことだった。いったんは身請けされるものの、その年老いた旦那はやがて往生する。これを契機に彼女は江戸にいるという実父に会いに行ったが父親は17年前に亡くなっており、武家の奥方になっているという実の姉もほんの一瞬だけしかその姿を見られなかった。このとき、彼女はお互いの境遇の差をしたたか痛感させられたはずである。彼女が吉原に行く決意をするのはその直後だ。彼女は佐大夫にさせられたのではない。自ら選択したのである。その後の肝が据わっているように見える彼女の生き方は、このときの決意に裏づけられていたのである。
とりわけ印象的なのは、反逆者と見なされて身を隠していた田島弦左衛門(通称「宗兵衛」)を長い間匿ったことである。金がしだいになくなり樓主が彼を罵るようになってからも彼女は彼を守った。樓主から折檻を受け、身体が傷ついても勤めだけは欠かさない。そこに彼女の遊女としての矜持もあったのだろう。やがて弦左衛門が捕縛され斬死した後、彼女のもとを訪れた未亡人と子供たちのために金を工面し、神社を建てる。そこに損得勘定はない。ひたすら侠気の念があるばかりだった。
彼女は決して金に淡泊だったわけではない。作品の中でも金をせしめるためにあれこれ画策している場面もある。だが、そればかりではない。貴賤の別なく自らの尊厳を守る場面で彼女は決して妥協しない。自分の父親が好色の果てに落命したことを恨み、佐藤八郎という若者が彼女を襲う。このとき彼は短刀を落とした。これを持って佐大夫は佐藤家を訪れたが、示された短刀は紛れもなくこの家のものである。これを取り戻したいと思う母親は、佐大夫がこれをかたにゆすりに来たものと解釈した。これに立腹した彼女は八郎を役人に訴え、この結果彼は閉門八十日の処分を受けるのである。
この他にも、彼女に入れあげた息子を殺害するよう家臣に依頼する母親の話、同じ佐大夫を目当てに養父と養子が入れ替わり立ち代わり訪れてそれが知れ渡り、放埓ゆえに養父が処分を受けた挙句自害をする話など、エピソードには事欠かない。物語としては必ずしも一貫しているとは言い難いが、興味尽きない作品であることは確かなようだ。