(152)『くされたまご』

嵯峨の屋おむろ 『くされたまご』  2017年12月

小田島 本有    

  嵯峨の屋おむろ『くされたまご』は明治22年に書かれた、戯作調の短編小説である。背徳的な女性教師が暴露的に描かれたこともあり、当時は話題となった作品のようだ。石橋忍月はその社会批評性を高く評価したが、巌本善治は作品の結末で閨房の記事が出てくることを「毒筆」であるとして批判した。当時の文壇のあり方を憂いていた巌本からすれば、『くされたまご』は看過できぬものだったのだろう。
 主人公松村文子の妖しげな雰囲気は作品の冒頭から伺える。鉄道馬車に乗りこんだとき彼女は人々の視線を集めるが、語り手は彼女を「黒人(くろうと)にしては不粋に過ぎ、娘にしてはみだらな粧姿(なり)」と形容しており、その後の展開を既に予兆していた。彼女は混み合った馬車に乗り合わせていた少年に寄り添ったばかりでなく、彼が下車すると慌てて下車し、背後から彼に声をかけ道を尋ねる。そのときの様子を語り手は「見る目に流す秋の波」と述べており、彼女が媚を含んだ色っぽい視線を送っていたことを見逃さない。声をかけられた少年は名を松村晋といった。当初彼はきまり悪そうだったのである。
 そこにたまたま出会ったのが、宮川という男であった。彼は文子が勤務する学校の設立者の息子であり、晋の親戚でもあった。この偶然を喜んだ文子は二人を自宅に招く。彼女は自らを「新主義」「ざツくばらん主義」と称し飲酒も習慣化しているが、晋はやがて彼女に感化されるようになる。晋は勉学も疎かになり、いわゆる「悪所通い」をして下宿に帰らない日もあって、文子からも「あんな所へ往くものはどうせ碌な者にはなりませんよ」と窘められているほどなのだ。
 そもそも宮川と文子がただならぬ関係にあった。ある晩、泥酔した宮川が文子の部屋を訪れると背中を向けて熟睡している彼女の姿を見つけたが、そこには枕が二つ並べられ枕元は杯盤狼藉の状態だった。そこへ小用を足して二階に上がってきたのが、あやしい袷を乱れた状態で着ている晋だったのである。これを見て激高した宮川は手に持っていた鶏卵を晋の顔に投げつける。卵は腐っていたらしく悪臭が漂った。宮川はこのとき「腐敗鶏卵(くされたまご)め」と叫ぶが、語り手がいみじくも語っていたように、「臥したる者も、倒れたる者も、はたまた罵る者も共に腐れり」だったのである。
 作品の結末では、文子のその後が「風の便」として記されている。それによると、「宮川よりは白眼(しろめ)、学校よりは背中に塩、知人(しりびと)からは爪はじき、身には宿す父(てて)なし子」とのこと。
 後年、『魔風恋風』(小杉天外)、『青春』(小栗風葉)ではいわゆる堕落女学生が頻繁に描かれることになるが、『くされたまご』はその道筋をつける役割を果たしたと言えるかもしれない。