樋口一葉 『わかれ道』 2018年9月
既に『たけくらべ』『にごりえ』を書いていた樋口一葉が『わかれ道』を発表したのは明治29年1月。ちなみに彼女が24年の短い生涯を終えたのはこの10か月後のことだ。
天涯孤独で親を知らない吉三は「太つ腹のお松」に拾われ、傘屋の職人を務める16歳の少年である。慕っていたお松は亡くなり、新しい主人には厳しく当たられ、小柄な身体ゆえ周囲からは「一寸法師」と仇名されている。その彼が唯一姉のように慕っていたのがお京であった。彼女は針仕事で生計を立てている二十歳ばかりの女だったが、その生活ぶりは決して楽ではない。吉三が訪れてもいっこうに縫物の手を休めることがないところにも、そのことは端的に伺える。
貧しい暮らしをしているという点では吉三もお京も変わりがなかった。ただ吉三が「己れなんぞ御出世は願はない」と公言しているのに対し、お京はこの苦しい境涯からの脱出を願っていたという点で二人は対照的である。運が向くときは糸織の着物を拵えてほしいと吉三が望むと、吉三が「出世の時」には自分が拵えてあげるという約束をお京は交わしていた。ここから分かるように、お京は二人が共に出世をすることを願っていたのである。 お京はともすればいじけがちな吉三を励まし、彼の愚痴の聞き役にもなっていた。それだけ吉三にとってお京は心を許せる姉的存在だった。
それだけに12月30日の夜、お京から明日引越しをすると突然言われ、吉三は動揺した。というのも彼はお京が妾になるという噂を半次から聞かされ、半次と大喧嘩をしていたからである。そのことを問い質したとき、お京はそのことを認め、「何も私だとて行きたい事はないけれど行かなければならないのさ」と言う。慕っていたお京が妾になるというのは吉三にとってショックであった。彼にしてみれば「人の妾に出る」ことは「腸の腐つた」ことと認識されていたからである。「何もお前女口一つ針仕事で通せない事もなからう」と説得を図ろうとする吉三に、お京の実情がどれほど理解できていたのだろうか。「私はどうしてもかうと決心してゐるのだからそれは折角だけれど聞かれないよ」と言い張るお京は、いかにもつれなく吉三の眼には映る。しかし、この決心に至るまでに彼女のさまざまな葛藤があったはずであり、いったんこうと決めた以上、吉三の前で彼女は弱い姿を見せるわけにはいかなかった。
貧民窟から拾い上げてくれた「傘屋のお老婆(ばあ)さん」は中風で亡くなり、可愛がってくれた「紺屋(こうや)のお絹さん」は嫁に行くのをいやがって裏の井戸に飛び込んで命を落とした。そして今回のお京。吉三には自分に情けをかけてくれる人々が次々と自分の前から去ってしまう運命が呪わしく思えてならない。
「わかれ道」というタイトルには我々人間の宿命が含意されている。