岩野泡鳴『猫八』 2020年2月
小田島 本有
声帯模写をする江戸屋猫八が誘われて文士の研究会に顔を出し、そこで久米正雄の『虎』が話題に上る。『虎』を議論の対象作品の一つとして提案した張本人はあいにく欠席しており、出席者たちも作品を読んでいない。したがって彼らは幾つかの論評を参考にして語らざるを得ないという心もとない状況だ。
猫八もこの作品のことは参加して初めて知った。文士たちの話によると、『虎』は虎を演ずることになった三枚目役者深井とその息子の話らしい。しかもその主人公は息子を三枚目にはしたくないと思っているという。猫八にも声帯模写が上手い息子がいて、その息子には跡を継がせたくないという思いがあった。猫八にとって『虎』は決して他人事には思えなかったのである。ましてや作品の結末で「自分の子供が父の余り馬鹿馬鹿しい役をしたのを子供ながら泣いている」というのを聞かされ、猫八はびっくり仰天する。ただし、出席者の一人が「その深井というのが自分の本意でない役を演じながら、それを子供に見せて置いたのは甚だしい間違いだと思われますが」と述べているのは明らかな事実誤認である。原作によると、息子は自分の意思で父親の演技を見に来ていた。この辺も作品を読まずに文士たちが語り合っている無責任さが浮き彫りになっている。
この日の研究会では、『虎』を酷評する匿名の評論が紹介されたが、実はそれを書いていたのが久米本人であったことが明らかにされる。これを聞いた猫八は、この作品の本意が「人を馬鹿にした物だとうなずかれた」。そして作者は「偉い」と意見を述べるものの、出席者たちの反応は芳しくない。「主人公に対する作者の同情は見えているが、少しも背景(バック)や深みがない」と冷ややかな意見が出る。文士たちにはあくまでも作品から作者の人格を推し量り、それを批評の基準とする傾向があったことが伺える。『猫八』に登場する文士たちの研究会は作者岩野泡鳴が主宰するそれがモデルになっていた。だとすれば、『猫八』は猫八という芸人の目を通して作者が自分たちを批評する小説だったと言えるのではないか。
この小説は全部で七章から成り立っている。当初主人公は「猫八」と呼ばれ三人称で語られていながら、四章の途中から猫八は「自分」と一人称で語っている。ところが作品の最後の一文では「かれ」と三人称に転じているのだ。この変化は意図的なものというよりも、むしろ作者にあっては自然なものだったのではないか。この作品は1918年(大正7年)、14回にわたって「大阪毎日新聞」に連載された。つまり途中で猫八の心情に即して「自分」と表現したことがきっかけとなり、連載ゆえそのまま変えることができず一人称の語りが続かざるを得なかったと考えるのが妥当と言えよう。それだけに結末の一文で三人称に戻したのは余計な操作であったと言わざるを得ない。