(185)『倫敦塔』

夏目漱石『倫敦塔』  2020年9月

小田島 本有

 夏目漱石が留学先のロンドンに到着したのが1900年(明治33年)10月28日のこと。ロンドン塔を訪れたのはその3日後である。「余はどの路を通って『塔』に着したかまたいかなる町を横(よこぎ)ってわが家に帰ったかいまだに判然しない」と作品の中では書かれている。
 『倫敦塔』はこのときの体験が素材になっているが、これはたんなる紀行文風の随筆と捉えるべきではない。主人公「余」がロンドン塔を訪れ、そこで過去と現在が交差する不思議な体験をする姿が描かれた創作と見るべきであろう。
 「倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである」と「余」は言う。ここでの「英国の歴史」とは王位の交代を巡る血塗られた歴史に他ならない。ここに幽閉され、やがて処刑された人々の姿が「余」の眼前に現れては消えていく。
 中でも数奇な運命に翻弄され女王の座に就くが9日間で廃位となり、今度は大逆罪のため17歳の若さで斬首されるジェーン・グレーの生涯はとりわけ印象に残る。漱石はこの作品を書くにあたってエインズワースの歴史小説『ロンドン塔』やドラローシュの歴史画『ジェーン・グレーの死』を参照した。「余」の目の前に処刑直前の光景が現れる。ここでのジェーン・グレーは「わが夫が先なら追付う、後ならば誘うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と、最期まで毅然とした姿を見せている。一方、「余」の眼前には斬首の執行人となった男たちが斧を研いでいる場面も現れる。彼らの会話の中では「昨日は美しいのをやったなあ」「いや顔は美しいが頸の骨はばかに堅い女だった。御陰でこの通り刃が一分ばかり欠けた」という生々しい言葉が交わされている。
 ロンドン塔の中を歩いているとき、「余」は「怪しい女」が7歳ぐらいの男の子にダッドレー家の紋章について「己れの家名でも名乗った如く」熱を込めて説明する場面に遭遇していたが、目隠しをされたジェーン・グレーはこの「怪しい女」であったことに「余」は気付かされ慄然とさせられる。
 何もかもが不思議な体験であった。帰宅するなり「余」は宿の主人にこの話をするが、「そりゃ当り前でさあ、皆んなあすこへ行く時にゃ案内記を読んで出掛けるんでさあ、その位の事を知ってたって何も驚くにゃあたらないでしょう、何頗る別嬪だって、倫敦にゃ大分別嬪がいますよ」と、実に素っ気ない。また幽閉された人が壁に爪で題辞を残した跡のことを話すと、「ええ、あの落書ですか、詰らない事をしたもんで、切角奇麗な所を大なしにしてしまいましたねえ」とにべもない。「主人は二十世紀の倫敦人である」との言葉には「余」の無念さが込められているのではないか。事実、「余」はこの後、ロンドン塔の話をすることも、再び訪れることもなかったのである。