(243)『よむよむかたる』

朝倉かすみ『よむよむかたる』  2025年7月

            小田島 本有

 小樽市内にある喫茶店シトロンで20年間にわたって続けられてきた「坂の途中で本を読む会」の物語。
 喫茶店の店長だった美智留が結婚のため函館に移住することになり、甥の安田(やっくん)がそれを引き継ぐため埼玉から移住してくる。叔母が書き残したノートにはこの読書会に関する細かいメモが残されていた。メンバーは6名、平均年齢は85歳。最高齢は92歳である。そこに28歳の安田が加わる。彼が文学の新人賞受賞者であることを知ったメンバーは彼を名誉顧問兼書記、さらに20周年記念事業の責任者に抜擢した。
 もともと冷笑主義が格好いいと思っていた安田であるが、彼は個性的なメンバーたちと出会い、体よく責任を押し付けられていくことにいつしか愉快すら覚えるようになっていた。
 この会は高齢化問題と会の存続が大きな課題である。そのような中、公開読書会をきっかけに若い世代が何名も会員となるところで作品が終わっている。
 安田は「ほんとうに、あなただけのお話ですか? あなたひとりでつくりましたか? モン」と、剽窃を疑う手紙が届いて以来、執筆ができなくなっていた。彼には覚えがない。だが、先行作品をいろいろ読んでいれば、知らず知らずのうちにパクリになるかもしれないとの本能的な怖れを抱くようになる。実は、この手紙の差出人はあやモンだった(手紙の最後の「モン」は彼女のことである)。安田は忘れていたが、幼い頃小樽にいた時の幼なじみがあやモンであり、当時二人で〈読む会ごっこ〉をして遊ぶ習慣があったのである。この時互いに話し合った内容が反映されていると感じたあやモンは抑えきれずに手紙を送った。作品の最後であやモンの謝罪を受けた安田は、「ほんとうは、ぼくだけのものじゃない。ぼくひとりではつくれなかった」と思う。作家の仕事は決して一人だけの作業ではない。いろいろな形で人と関わる仕事なのだという認識を抱けるようになったとき、彼には書けそうな予感が湧いてくる。そのような変化を促す大きな要因となったのが、まさに「坂の途中で本を読む会」との出会いである。ここでは集まったメンバーが順番に音読したうえで互いに感想を述べ合う。そこでのやりとりに生きがいを覚え、さまざまな困難を克服して集まろうとする後期高齢者たち。彼らから安田が受けたものは計り知れない。
 作品の中ではメンバーのまちゃえさん、シンちゃん夫婦の息子であった明典が交通事故で亡くなり、その恋人であった井上波津子のことが語られる。波津子は美智留の高校時代からの親友であった。彼女は明典の子を宿しておりシングルマザーとして生きて行く覚悟をする。その子があやモンだった。波津子は今小樽市内で皮膚科医をしている。しかし、明典の両親にそのことを明かさぬよう彼女は美智留にきつく頼んでいた。その辺の事情を明典の両親は何となく察している。美智留とまちゃえさん、シンちゃん夫婦の関係はなかなか味わい深い。