(12)『桜島』

梅崎春生 『桜島』  2006年4月

小田島 本有    

 いかにして死ぬか。これは人間誰もが避けて通れない問題である。梅崎春生の『桜島』では、昭和20年7月に桜島への転勤を命ぜられた兵曹「私」の視点に寄り添いながらこの問題が追求されている。
 沖縄は既に玉砕し、大和の出撃も失敗に終わった。あとはいつ米軍が本土に上陸してくるかという状況の中、桜島への転勤は迫り来る死の宿命を受け入れることに他ならなかった。「美しく死にたい」と「私」は思う。しかし、それは感傷にすぎないと谷中尉や吉良兵曹長は否定する。彼らは彼らなりに戦争の現実に触れ、死を観念的に語ることの空しさを痛感していた。
 「私」は決して死の宿命を納得して受け入れているわけではない。それは、彼が「歯ぎしりするような気持で、私は遊び呆(ほう)けた」と述べていることからも明らかである。事実、桜島転勤が決まったとき、「私」は一人痛飲している。逃れられない宿命を自分なりに納得させるための方便が「美しく死にたい」という願望だったのだ。
 この作品は、「美しく死ぬ」という命題をめぐる主人公と登場人物たちとの対話に他ならない。桜島へ出発する前夜、訪れた妓楼で「どうやって死ぬの」と生真面目な表情で尋ねてきた右耳のない妓(おんな)の言葉がその後も幾度となく「私」の脳裏をかすめる。また、見張兵も「滅亡の美しさ」について語っていた。しかし、その彼も後に米軍の空襲に遭って落命する。その死貌(しにがお)は人間のあらゆる秘密を解き得て死んでいった者の貌(かお)ではなかったと「私」は述べている。つくつく法師を捕らえて握り潰した「私」の行為は、つくつく法師が鳴くと良くないことが起こると語っていた見張兵への哀悼の気持ちの発露だったのか。それとも、見張兵に代わっての復讐行為であったのか。はたまた、逃れられぬ死の宿命を目の当たりにした 「私」のぎりぎりの抵抗であったのか。 偏執的なまでの凶暴性を帯びた吉良兵曹長は、本土決戦になったら竹槍で戦い、卑怯な振る舞いをする味方には軍刀で斬りつけるとまで豪語した。「私」はその姿に言い知れぬ悲しみを感じざるをえない。
 そこへもたらされたのが、終戦の詔勅であった。「私」の体内には異常な戦慄が駆け巡る。そして、吉良兵曹長の目から涙の玉が落ちたのを「私」は見逃さない。
 暗号室へ向かう道の途中で「私」が目にしたのは落日に染められた桜島岳である。「私」はこれを「天上の美しさ」と形容している。この時拭っても拭っても溢れ出る涙を流しながら坂道を下りていく「私」に去来した思いとはいったい何であったのだろう。