石坂洋次郎 『青い山脈』 2006年3月
往年のベストセラー作家、石坂洋次郎の作品が読まれなくなって久しい。かつては本屋の書棚を埋め尽くしていたものだが、今ではそれが懐かしい。『青い山脈』も、せいぜいその映画主題歌がしばしば思い出のメロディーとして歌われることで記憶に残っている人が多いのではないか。
この作品が発表されたのは昭和22年。女学校で起きたにせラブレター事件を解決しようと動いた女性教師島崎雪子は、まさに戦後民主主義の申し子といった存在である。
彼女は、この事件の背後に女学生たちの野卑な精神を嗅ぎ取り、それを教室での問題として糾弾しようとした。教室で首謀者を特定し、その非を諭すというのは彼女の論理からすれば「間違いのない」やり方であったはずだ。ましてや、首謀者が自分の行為を「学校のため」と言い逃れしたのであれば、雪子にとってこれは看過できない事柄だったのである。
この事件を教室で問題として取り上げようとしたとき、これに反対したのは校医の沼田であった。この環境で暮らす女学生たちの背景を踏まえない、直接的な方法は反感を招くばかりであることを、彼は土地の人間として十分すぎるほど知っていたのである。
『青い山脈』は戦後まもない時代の中、民主主義を謳歌した作品として受け取られがちだが、事情はそう単純ではない。作者は戦前『若い人』を発表した際、右翼団体から不敬罪の被疑者として睨まれ、一時期沈黙を余儀なくされた経験がある。彼はむしろ多くの人々が「民主主義万歳」を叫ぶ当時の風潮に違和感を覚え、読者に警鐘を鳴らそうとしていたフシがうかがえる。それは、作品中の女学生が実に安易な形で「民主主義」を唱え、その言葉が一人歩きして島崎雪子の進退問題にまで発展していった経緯からも明らかだ。あるいは、寺崎新子が家の窮乏を救うべく、リンゴの密移出を企てる場面が描かれているのも、日本版の『桜の園』とも言える太宰治の『斜陽』とは明らかに対極的な生き方が志向されている。人間はとりあえず生きなくてはならない。欲望や嫉妬、あるいは競争心をもった個人が混乱した時代状況の中でいかにして他者と共存し、本当の意味での民主主義国家を築いていけるのか。作者はそのことを問いかけている。
『青い山脈』は、ヒロイン島崎雪子がこの土地の風土を理解していく物語でもある。その点で彼女がこの土地の人間である沼田のプロポーズを受け入れるのは、いかにもこの作品の結末にふさわしい。
しかし、当時の読者はこの作品をどの程度まで理解しえていたのであろうか。この作品が空前の大ブームとなったことが、長い目で見ると逆に不幸だったと言えるかもしれないのだ。