(25)『楢山節考』

深沢七郎 『楢山節考』  2007年5月

小田島 本有    

棄老という重いテーマを扱った作品が『楢山節考』である。
 ここでは対照的な二人の老人が登場する。一人は主人公おりん。もう一人は又やん。七十歳を迎えると楢山まいり、すなわち老人が山に棄てられるというのがこの村の慣わしであった。
 おりんは六十九歳を迎え、その心の準備を始めている。彼女は村落共同体の論理をいわば内面化し、それを実行に移すことに何の疑問も抱いていない。その日を迎える前に、息子である辰平の後妻を早く決めなくてはならなかったし、楢山まいりを決行する前日、既に山へ供で行った人間たちだけを呼んで振る舞うどぶろく(白萩様)もきちんと用意してあった。そして注目すべきなのは、楢山まいりを決行するのはあくまでも本人の意志なのである。
 その一方で又やんは七十歳を迎えても、決行するそぶりがない。挙句の果て、彼は縄で縛られて、倅に谷底へ落とされる羽目になる。
 楢山まいりには幾つかの掟があった。山へ行ったら物を言わないこと。家を出るときは誰にも見られないこと。そして運搬する人間は帰る際には後ろを振り向いてはいけないこと。貧しいこの村で人々が生きていくためには、老いたる者が身を引かなくてはならない。それはあたかも自然の摂理であるかのように決行されることが重要だったのである。現代の我々の感覚からすれば、最後まで生に執着した又やんの姿は何ら怪しむに足らない。だが、村の掟にしたがい、それを当然のこととして実行するおりんの姿にはある種の凛々しさが漂う。
 いったん母親を置いて山を降りたものの、途中で雪が降り始め(楢山まいりで雪を目にするのは幸運とされていた)、そのことを伝えたくて辰平は引き返す。母親にそのことを伝えても、おりんは無言のまま彼に帰るよう促すだけである。結局、この後脱兎のごとく山を駆け下りた際、彼が目にしたのは必死に倅の襟を摑もうとする又やんと、それを払いのけて父親を谷底へ落とそうとする倅の光景であった。このとき、辰平はわが母親の立派さ、気高さを痛感したに違いないのだ。
 家に戻ると、おりんが使用していた帯や綿入れは既に残された家族が使っている。前日の残りのどぶろくはもう孫が飲んで酔っ払っている。おりんがすうっと消えていったという印象を我々読者は受けるだろう。確実に世代交代が行われているのだ。