(26)『忘却の河』

福永武彦 『忘却の河』  2007年6月

小田島 本有    

本来孤独を抱えた人間はいったいどのようにして他者と触れ合うことがで きるのか。『忘却の河』のみならず、福永作品にはこのテーマが一貫して流れている。
 藤代一家の不幸は、互いが心に秘密を抱え、それを打ち明けられないまま、いわば思い込みで相手との間に壁を築いてしまったことに最大の要因があった。
 藤代の場合、恋人が自ら命を絶ち、良心の呵責を抱いたまま親の薦める見合い相手と結婚した経緯がある。妻のゆきは夫の出征中、呉との恋に陥るが、その呉は戦死する。長女の美佐子は長い間寝たきりの母親の看病に明け暮れるが、なかなか父親の薦める見合い相手との交際に踏み切れないでいる。というのも、彼女にはときどき逢瀬を重ねる美術評論家三木の存在が影を落としていたためだ。一方、三木も自分の家庭を壊してまでも美佐子と深入りするつもりはない。また、次女の香代子は大学で演劇活動に明け暮れる活発な女性だが、母親の秘密を知って以来、自分は母親と呉との間に生まれた子ではないかと疑う。
 この作品の中でとりわけ印象的なのは、藤代が家族から「冷たい人」として敬遠されていることだ。その中で、彼を唯一「自分のやさしさを無理に殺している」と評した人間がいた。それが、雨の中動けなくなっているところを藤代に助けられた若い女性であった。「小父さんのそういうとこがとても好きよ」という彼女の言葉に藤代の心は慰められた。このとき、彼は他者に対して無防備でいていいのだということを知ったのではないか。
 藤代はかつて恋人が身を投げた日本海の崖を訪れ、賽の河原で回向する。ふるさとを知らない藤代にとって、かつての恋人のふるさとが心のふるさとともなった。また、自分の記憶に残っていた子守唄は誰が歌っていたのか、美佐子はそれを知りたくて母に尋ねたり、二十年間会わなかったかつてのねえや「初ちゃん」のもとを訪れて確かめたりした。しかし、作品の結末でそれは父親が幼い美佐子に機会あるごとに歌っていたという事実が明らかにされる。このとき、美佐子は父親の愛情に触れたに違いない。
 確かに藤代が結婚したとき、そこにはある種の妥協があったことは否めない。しかし、本人も自ら述べているように、彼は妻や娘を愛そうとは努めた。それが仮に不器用なものであったにせよ、彼のその思いに偽りはなかった。ただ、言葉の足りない藤代は家族に余計な憶測を抱かせ、それがお互いの間に溝を作る結果になってしまったのである。それだけに美佐子が子守唄の由来を知る結末部分は、この一家に一筋の光をもたらしていると言えよう。