(41)『こゝろ』

夏目漱石 『こゝろ』 2008年9月

小田島 本有    

  「私」はなぜ今「先生」について語り出すのか。学校の先生でもなかったのに今でも「私」は「先生」と呼ぶことにこだわるのだ。
 「先生」からの遺書には大きく二つのことが語られていた。
 一つは、早くに両親を失い、その後面倒を見てくれた叔父に財産を横領され、人間不信に陥ったこと。それまで「先生」は叔父に対して何の疑いも抱いていなかったのである。
 もう一つは、大学生の頃、友人のKから下宿先のお嬢さんに対する思いを告白されながらも、自分がKを出し抜く形でお嬢さんとの婚約を取り付けたこと。それからほどなくしてKは自殺する。結婚後もずっと「先生」は罪の意識に苛まれ続けていた。
 「先生」は、「私は死ぬ前にたった一人でいいから、ひとを信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。あなたは腹の底から真面目ですか」と「私」に問いかけていた。その「先生」が遺書の中で、「私は何千万といる日本人のうちで、ただ貴方だけに、私の過去を語りたいのです。あなたは真面目だから」と述べる。「私」はいわば「先生」に選ばれた存在なのだ。「私」の側でそのことを誇る思いがあったことは否定できない。たとえ「先生」の自殺を悲しむ気持ちがあったとしてもである。
 「先生」からの遺書は、「私」の父親の臨終間際に届けられた。親が亡くなったあと、親類を含めた肉親の間でどのような醜い争いが起こるか、「先生」はそれを自らの体験を通じて予測しえていた。しかし、若い「私」にはその認識がない。「先生」は今が「適当な時機」と判断し、捨て身の覚悟でそのことを伝えようとしたのである。それが自らの過去を告白するあの長い手紙だった。また、自らの過去を語ることは「私」との約束を果たすことでもあったのだ。
 だが、「先生」のその願いは十分に生かされなかったであろう。なぜなら、「私」は遺書を受け取るなり、父親を見捨てる形で「先生」のいる東京へ向かったからである。その後いかなることがあったのか、「私」は決して語ろうとしない。しかし、沈黙を守るということ自体が「私」の心の傷の深さを逆に示しているはずである。
 しかし、その「私」も、自分の言葉が「先生」を死に至らしめたという自覚はおそらくない。「私」は「先生」に過去を語るよう熱心に要求した。「先生」にとって過去を語ることは死そのものを意味していたのである。それは「先生」の奥さん(かつてのお嬢さん)の「それでは殉死でもなさったら」という冗談まじりの言葉が「先生」に自殺の引き金を引かせてしまったことと照応してくる。
 言葉は重要な伝達手段であると共に、恐ろしい武器にもなりうる。それだけに言葉の使い手は慎重であらねばならない。『こゝろ』の作者はそう語っているように思える。