(40)『高瀬舟』

森鴎外 『高瀬舟』   2008年8月

小田島 本有    

   同心の羽田庄兵衛にとって罪人喜助との出会いはまさに根底を覆されるほど衝撃的なものであった。
 遠島を申し渡された喜助はそのことを悲しむどころか、喜んでさえいる。今まで住んでいた京都では苦労ばかりの日々であり、それに比べれば島での暮らしは彼にとって苦痛ではない。ましてやお上から与えられた二百文の鳥目(お金)は、今まで手元にお金が留まったためしのなかった彼には恵みですらあった。
 彼の罪状もしかりである。弟殺しの罪人と聞かされていた庄兵衛ではあったが、彼はそれが果たして弟殺しと言えるのかどうか喜助の話を聞くに及んで深い疑問に囚われざるを得なかった。両親を早くに失い兄弟二人で暮らしていたものの、弟は長患いで床に伏せっていたのである。兄に迷惑をかけることを苦にした弟はある日自ら命を断とうとする。喜助が帰宅して目にしたのは剃刀を首に刺したままもがき苦しむ弟の姿だった。
 喜助は弟の必死な訴えに促され、剃刀を引く。ようやく弟の願いを聞き入れたとき、弟の目に喜びの表情が浮かんだことを喜助は決して忘れていない。ここには喜助と弟の二人だけにしか伺い知れないドラマがあった。それに比べれば、自分が弟殺しの罪人かどうかは喜助にとってさほど大きな意味を持たない。
 庄兵衛は喜助の頭から毫光がさすように感じた。彼は喜助の中に自分には及びもつかない人間的偉大さを見出したのである。そこに庄兵衛の過大評価があったことは否めない。庄兵衛は自らの生活感覚に照らして喜助を眺めていたのであり、彼を欲のない人間と捉えたこともその点では無理もなかった。
 庄兵衛は家族を持ち、時には妻との間に諍いを起こしている人間である。その諍いの原因の殆どが生活問題であり、彼は喜助の話を聞きながら我が身の場合を振り返らざるを得なかった。庄兵衛が驚異の目で喜助を眺めていることなど、当の喜助は知る由もない。それは純粋に庄兵衛の内面でのみ生じたドラマであった。『高瀬舟』はこのように喜助、庄兵衛それぞれの内面に展開されたドラマが互いに独立して存在した作品と言えよう。
 庄兵衛は喜助を弟殺しの罪人としたお上の判断に素朴な疑問を抱く。しかし、結局のところ「オオトリテ」(権威、権力者)に従うしかないと考えるところに彼の限界もあった。お上の判断を絶対視してしまうところは彼の個人的限界というよりも、むしろ時代的な制約を見るべきだろう。しかし、現在の我々がそうした制約から完全に自由であるかどうかはまた別の問題である。