(42)『蒲団』

田山 花袋 『蒲団』  2008年10月

小田島 本有    

   田山花袋によって明治40年に発表された『蒲団』は、その前年に島崎藤村が書いた『破戒』とはあまりに対照的だった。そこには社会性のかけらもなく、あるのは中年男の自惚れと嫉妬がないまぜになった心の葛藤であり、美貌の女弟子を失った喪失感を、彼女の使用していた寝具に顔を埋めて泣くことでしか慰められない男の哀れさであった。
 竹中時雄は36歳。三人の子供を抱え、単調な生活に飽き足りないものを感じている。
 その彼の前に現れたのが神戸女学院で学ぶ19歳の横山芳子であった。彼女は父親に連れられ、時雄のもとを訪れる。文学者としての時雄を崇拝する彼女は彼に師事したいと願い出たのである。彼女は思いもかけぬ美貌の持ち主だった。時雄の心は躍る。
 時雄は、これからの女子は「新しい女」としての自覚を持たなければならないことを芳子に説いた。ところが、いざ彼女に恋愛問題が発生すると、時雄の心は動揺する。相手の田中は同志社を退学し、彼女を追って東京にやってきた。生活のあてもないまま、これから文学でやっていきたいという。
 時雄の目には田中はつまらぬ男にしか見えない。彼の妻も芳子のことを「物好きだ」と揶揄しているほどだ。
 芳子の保護者という立場上、時雄は芳子の父親に事情を打ち明け、東京に来てもらう。表面上は若い二人の「温情の保護者」として振る舞いながら、心の奥ではこの父親に反対してもらいたいと願う矛盾ぶりは滑稽ですらある。
 父親は3年間様子を見ようと言う。その間は芳子を他の男性に嫁がせることはしない。その代わり、二人はそれぞれ離れて勉強に専念するよう提案したのである。それに納得できない田中はあれこれ理由をつけて、なんとか芳子と一緒にいようと画策する。
 しかし、この二人が京都の嵯峨野で同宿した際に深い関係となったことが後に明らかになる。それまで二人はあくまでも清い関係であると主張していた。周囲を欺いていたことが明らかになった以上、芳子は父親の言葉に従い故郷に戻らざるを得ない。田中と芳子を引き離したいという時雄の願いは果たされた。しかし、それは同時に芳子を失うことでもあった。
 時雄は自分に向けられた芳子の「崇拝」を「愛情」と勘違いしていた。妻がいなければ自分は芳子を貰っただろうと彼が思うのはこのためである。中年期にさしかかった男が若い女性に翻弄される姿がこの作品では描かれている。懊悩のあまり泥酔し、そのまま家の厠で寝込んでしまい妻に咎められるという醜態ぶりはペーソス(哀感)すら漂う。
 芳子が去った今、彼女の蒲団を敷き、その匂いを嗅ぎながら時雄が涙を流す最後の場面において、この男のみじめさは隠しようもない。この告白小説が当時喝采を浴びたということが、我々に隔世の感すら抱かせる。