(44)『たけくらべ』

樋口 一葉 『たけくらべ』  2008年12月

小田島 本有    

   龍華寺の信如、大黒屋の美登利、この二人はかつて同じ育英舎で学んだ幼馴染みであった。しかし、思春期を迎えた今、彼らはお互いへの思慕の情を意識しつつも、自らが甘受せねばならない宿命をわきまえていたと言うべきであろう。
 信如はお寺の息子である。成績も良く、どちらかというと寡黙な少年。学校の帰りがけに美登利がきれいな花を見つけ、それを背の高い信如に取ってもらおうと頼んだところ、周囲の目を気にする彼は、手近の枝を折って投げつけるようにして行き過ぎた。このようなことが度重なるにつれ、美登利はそれが自分に対する意地悪のように思われ、腹を立てる。このときの彼女には、思春期の少年の心の奥底を伺い知ることは無理であった。
 美登利の姉は既に吉原の売れっ子となっている。そのため、美登利には多少のお金もあり、近所に住む年下の子供たちには気っ風のよさを見せている。彼女は子分ともいえる男の子たちが少なからずあり、姉貴的存在でもあった。彼女は多くの収入を得ている姉に対して憧れの気持ちを抱いており、自分も姉のようになりたいと願うのだが、いったい自分がどのような仕事に就くのかは分かっていない。
 あるとき、美登利の配下の男の子が別のグループの子供からのいじめに遭う。これを知った美登利は立腹する。しかも、その相手グループの頭目が信如であるという話(これは信如にとっては心外なことであったのだが)も聞かされた。こうして信如と美登利との溝は決定的に深まってしまったのである。
 その二人が一度だけ接近しかかったことがあった。雨の中、家から美登利が外を眺めていると、下駄の鼻緒を切らしてしまい難渋している人影があった。さっそく母親に断って友仙ちりめんの切れ端をもって外へ出た彼女はそれが信如であることを知る。ふっと振り返った信如も、彼女の存在に気づく。雨の中外に飛び出した娘を呼ぶ母親の声で彼女は家へ戻らざるをえない。再び信如が振り返ったとき、足元に残されていたのは雨にぬれた友仙だった。
 後に美登利は急に気鬱になる。彼女を好いていた弟分の正太にはその変貌ぶりの理由が分からない。身体の具合が悪いのかと心配もする。だが、彼女の母親は意味ありげに微笑するだけだ。美登利はこのとき以来、もはや「子供」ではなくなったのである。
 信如も僧侶になるべく、家を離れて行った。美登利もまもなく吉原の女となるであろう。決して結ばれない宿命を負った二人の男女の間で取り交わされたひとときの交情。十分に互いの会話がなされない分、そこには無言の語りがあった。彼らにとって「子供」でなくなるということは、別れの時期を迎えることを意味していたのである。