(74)『アメリカン・スクール』

小島信夫『アメリカン・スクール』2011年6月

小田島 本有    

 日本人の英語教師たち30名ほどがアメリカン・スクールを訪れる。彼らは片道6キロの距離を集団で歩いて行くのだが、この光景そのものが周囲からすれば奇異なものに映ったとしても不思議はない。舞台は敗戦後まだ3年しか経過していない、占領下の日本である。
 ここには主要な3人の日本人英語教師が登場する。  山田はかねてよりアメリカ留学の夢を抱いており、今回のアメリカン・スクール訪問をそのきっかけにしたいと考えている。モデル・ティーチィングの実現に並々ならぬ意欲を示したり、参加者の英語の実力を推し量ろうとしたりする姿は滑稽にさえ映る。
 伊佐は、かつて通訳に駆り出された際、ジープに同乗した黒人に話しかけたものの、それが通じなかったという苦い体験の持ち主である。今回のアメリカン・スクール訪問でも彼は殆ど口を開こうとさえしない。同僚から借りた靴が合わずに靴擦れを起こし、心ならずも進駐軍のジープに押し込められ、しかもその運転手が例の黒人であることを知ってあたふたする姿は哀れでさえある。
 山田は自分をアメリカ人に認めてもらおうと、周囲の思惑も構わずに強引に推し進めようとするし、一方の伊佐はひたすら自分を表に出すまいとしている。一見すると対照的な二人だが、実は両者ともアメリカに対してのコンプレックスが根底にあるという点が共通していた。
 ミチ子は参加者唯一の女性教師。彼女は戦争未亡人である。頑固な貧しさを醸し出す伊佐に、彼女は亡夫と似たものを感じ、ある種の親近感さえ覚える。その一方で、アクの強い山田が彼女の英語力を確かめようと話しかけてきたときは、彼をたじたじとさせるほどの実力と反発心を発揮する女性でもあった。その彼女も、自分が英語を話すと自分が自分でなくなるような思いを否定できない。その点で、山田がアメリカ人気取りで英語を話そうとする姿が惨めに感じられたのだろう。ただ、その彼女もスクールの広大な敷地に圧倒され、そこで働く日本人のメイドまで天国の住人に感じてしまうのは避けられなかった。
 いったんは決まりかけたモデル・ティーチィングの話も、ある小事件がきっかけで水泡に帰した。事件そのものは些細なものである。その事情もよく知らない山田が、これはモデル・ティーチィングを担当したいと望む教師間のトラブルであり、すべては研究心と英語に対する熱意のためだ、と言い繕った。「そう、特攻精神ですか」というウィリアム校長の言葉を皮肉と分からず、賛辞と受け止めてしまった山田。校長がこのスクールの教育方針に干渉することと、ハイヒールを穿いてくることを厳禁するのはこの直後である。
 この作品が発表されて半世紀以上が経過した。果たして我々はここで戯画化された日本人像から脱することができたのであろうか。