井上 靖『敦煌』2011年7月
そのときの失敗が長い人生において果たして失敗であったと言えるのか。『敦煌』における趙行徳の生涯を見ると、我々はその思いを禁じ得ない。
彼は進士の試験で、最後の天子の策問を残すまで上り詰めていた。しかし、彼は不覚にも待ち時間に居眠りをするという失態を犯してしまう。ほぼ手中にしていたはずの立身出世の道は閉ざされた。しかし、この失敗がなければ、あの昂然とした西夏の女と出会うことも、西夏の文字を知ることもあり得なかったのである。彼が最後西域の敦煌まで辿り着き、石窟寺院の壁に夥しい数の経典を埋め込むというのは、あの失敗が機縁となっていた。
20世紀の初頭に夥しい経典類が中国人修道士によって発見され、それが役所に伝えられたものの十分な対応がされず、結局それらが外国人の探検隊によって持ち運ばれたというのは歴史上の事実である。そもそもこれらの経典類がいつ、誰によっていかなる目的で埋められたかは謎だ。井上靖は趙行徳という架空の人物を設定し、その謎に迫った。その壮大なロマンを構成する想像力には瞠目すべきだろう。
全編を通じて行徳は変化している。それまで立身出世を是としていた彼は、その願いを放棄してからも利己的なところがあった。一時は激しく愛し合ったウイグルの王族の女と「一年経ったら必ず戻ってくる」と約束をしたにもかかわらず、その約束を守ることをしなかった。西夏文字を学ぶために首都の興慶に赴いた彼は、確かに漢字と西夏文字との対照表を作る作業に時間はかかったものの、本人が積極的に戻る意欲を減退させていたというのが事実に近い。一年半後に戻った彼は、彼女が西夏の首領である李元昊の側室になっていたのを知る。これは後に彼女を愛した朱王礼が語ったことだが、彼女は異民族である李元昊の側室になることにかなり抵抗したのだ。しかし、最終的には行徳が戻らなかったことが彼女の心を折れさせたのだろう。
偶然行徳と再会した彼女は、その翌日城壁の上から身投げをして息絶える。この事件が行徳を変えた。朱王礼が李元昊への復讐の念を強め、最後は彼に反旗を翻すという無謀の挙に出るに至ったのに対し、一方の行徳は死んだ彼女を供養する思いを深めて行く。彼は仏教に傾倒し、やがて漢民族の土地である瓜州、沙州が西夏の猛攻に晒されることが確実な中、夥しい経典を持ち出そうとする若い僧侶たちの姿を目の当たりにしてこれらを何とかしたいという願いに駆られる。彼が強欲な商人尉遅光(うつちこう)を利用して、これらの経典を壁に埋め込むくだりはスリリングだ。 行徳は、この行為を通じて歴史に確実な足跡を残した。死期が迫るなか、自分に何ができるかと問いかけたとき彼が見出した答えは、その点で実に大きなものだったのである。