(76)『海辺の光景』

安岡 章太郎『海辺の光景』2011年8月

小田島 本有    

 都会で暮らす信太郎のもとに母危篤の連絡が届く。母親は一年前に永楽園という精神病院に入っていた。物語は母親が死ぬまでの九日間の流れと、過去の回想が交錯しながら展開する。
 作品中で「終戦の日から翌年の五月、父親が帰還してくるまでが、信太郎母子にとっての最良の月日であったにちがいない」という記述がある。父親(信吉)を母親は嫌っていたし、現に父親の帰還は信太郎にも違和感を引き起こさずにはいられなかった。この母子は父親を嫌うという点において濃密な関係を形成していたのである。この母子にとって、信吉が軍人とはいえ実際は獣医であったというのはできれば秘しておきたいものだったし、二人は劣等感を共有していたといえる。しかし、ある晩、両親の寝間から言い争う声が聞こえ、それ以後二人は寝間を別にする。そして、昼間、信太郎が寝ている枕元に母親が黙って意味もなく座り込むにいたっては、彼も母親に疎ましさを覚える。母親に「女」を感じることの違和感を彼は抱いたのだ。
 やがて母親の行動に狂気が現れ、精神病院に送られてから、信太郎は積極的に母親を見舞うことをしていない。信太郎は都会での生活が忙しいことを口実に田舎へは寄りつこうとしなかった。ここには、母親の病気を認めたくないという思いと、母親との濃密な関係に一線を画したいという彼の意識が働いていたのではないか。
 いよいよ危篤という知らせが入って、彼は母親のもとへ駆けつけるのであるが、母の姿はすっかり面変わりしていた。彼はずっと母親の傍らにいることを決める。病院の看護人にはそれが迷惑であるらしいことにも気づきながらも彼がそう決めたのは、それが一番落ち着くからであった。このとき、彼は周囲には自分が「孝行息子」を演じていると思われているのではないかという意識も働く。そして、母親が病床で無意識のうちに「おとうさん……」と低く呟いたことは、信太郎にとって不思議な事件となった。この事件は彼に「いくらかの失望とそれに見合う安堵」を与えたのである。息子には伺い知れない領域が両親の間にはあることを、彼は痛感させられたに違いない。
 やがて、母は臨終を迎える。信太郎はこの九日間を振り返りつつ、海辺へ出る。目の前にあったのは、なだらかな海面に、幾百本ともしれぬ杙(くい)が黒々と突き立った異様な光景だった。これが「墓標」のようにも見えた彼は、たしかに一つの「死」が自分の手の中に捉えられたのを見るのである。しかし、このときの信太郎の内面描写は省略されている。この光景にこれからの人生に対する虚無感を見るのか、それともこれまでの母親に対する自らの態度への罪悪感を見るのか。それによってこの作品の解釈は大きく異なってくる。