(107)『続氷点』

三浦綾子『続氷点』 2014年3月

小田島 本有    

『氷点』の執筆から4年半の月日を経て、三浦綾子はその続編に着手する。それは前作では未解決の問題があったからだ。
 『氷点』は服毒自殺を試みた陽子が意識を取り戻す兆候を見せたところで終わっていた。それまで自らの〈正しさ〉にこだわっていた彼女にとって、自分が殺人犯の娘でなかったという事実は彼女を喜ばす材料となりえなかった。なぜなら、彼女は自分が不義の子であり、実母から捨てられた子供だったことを知らされたからである。陽子の価値観からすれば、実母の三井恵子が夫の出征中に実家で下宿していた大学生と恋愛し妊娠したこと、さらには産まれた自分を乳児院に預けたことは〈正しくない〉ことであった。
 恵子に決して会おうとしない陽子の頑なな態度は、自らの抱く〈正しさ〉を守ろうとする潔癖さと表裏一体のものであった。陽子は恵子をゆるそうとしない。だが、その彼女も自らの遺書の中では、自分の実父が殺人犯だったと知らされ、「ゆるしがほしい」と書いていたのである。彼女の矛盾を指摘することは簡単だ。だが、彼女はこの矛盾を抱えることによって初めて、生きた人間として存在し始めたと言えるのではないか。彼女は実母をゆるせない自分を無条件で認めていたわけではない。彼女にも心の葛藤はあった。彼女には「ゆるせない自分」と「ゆるしたい自分」が同居しており、その両極の間で揺れ動いていたのである。
 『続氷点』では「わびる」という言葉がキーワードになっている。自分が誰かにゆるしてもらうには、その相手に直接わびる行為が必要だ。作品中では、殺人犯佐石土雄(彼は刑務所で首吊り自殺をした)の娘である相沢順子が長い間父親の罪をわびる機会を待ち続け、辻口家の人々に対してそれを果たすことでようやく心の解放を味わう場面が描かれていた。「ゆるしてほしい」との思いを遺書の中に書き、自殺を試みることで直接面と向かってわびる機会を自ら奪ってしまった陽子との違いはあまりにも明らかだ。
 また、彼女は血の繋がらない兄の徹と彼の親友である北原二人から思いを寄せられ、自らの決断を迫られる。これもまた彼女が複雑な人間関係という現実の中で生き始めた証だろう。
 やがて彼女は流氷を見に訪れ、そこで深紅の光が射す光景を目の当たりにして、十字架に磔となったキリストの姿を見出す。キリストはすべての人の罪を背負った。そのことに思い至ったとき、彼女は自分こそがもっとも罪深い存在であることを知るのだ。
 作品は彼女が実母である恵子に電話をかけようとするところで終わっている。恵子は自分のかつての行為を決して自己弁護することなく、過失を素直に認めていた。陽子はまず、今まで頑なに実母を拒み続けた自らの傲慢さをわびるに違いない。