川端康成『眠れる美女』 2014年4月
裸のまま眠った娘に添い寝ができる秘密クラブを訪れる老人の姿を、川端は『眠れる美女』の中で描いた。
木賀老人の紹介を受け、江口はここを訪れた。「たちの悪いいたずらはなさらないでくださいませよ」と、宿の女は釘をさすように言う。彼女によれば、ここは「安心できるお客さま」が訪れる場所であるとのことだが、そのような言葉に心の内で反発を覚える江口がいた。67歳の彼はまだ自分は十分「男」であるという自覚があったからである。
作品は五つの章段から成り立っており、その章段の数が江口の訪問回数に相当する。彼をこのように導いたものは何だったのか。
この家の禁制を破りたいという衝動に駆られたこともあった。毎回添い寝する娘たちは異なる。彼女たちは薬によって前後不覚に眠らされている。彼女たちはいわば処女性と娼婦性を備えていた。江口に彼女たちへの性的関心があったのは言うまでもないが、それだけではない。
添い寝する娘の身体に触れたり眺めたりすることをきっかけに、彼の脳裡にはそれまで関わってきた女性たちの記憶が甦ってくる。それは乳吞児の移り香に過敏に反発する芸者であったり、激しい情欲に駆られて乳首のまわりに薄い血を出させてしまった恋人であったり、接吻してもいやでないと思う男の人を数える習慣があると囁いた中年女性であったり、3年前神戸で夜を共にした20代の人妻であったり、あるいは客にあてがわれた14歳の娼婦だったりする。
回想はさまざまな思念へと江口を導く。かつて二人の男性から思いを寄せられ、「きむすめ」でなくなった末娘は傷心の状態におかれたが、身体の関係をもたなかった男性のほうと結婚をした。その娘が結婚後、見違えるように美しさを発散するようになった。江口もかつて駆け落ちまでした恋人がいたが、連れ戻され、彼女は別の男性と結婚した。後に偶然再会したとき、彼女は赤ん坊をおぶっていた。「その赤ちゃん、僕の子じゃないか」との問いを彼女は激しく否定する。一度は激しく愛し合った男女でも、時を経ればその記憶は空しい過去となるのだ。
そして、臨終間近の母親の記憶が甦る。江口が17歳のときであった。大量の吐血をし、汚れた胸を父親に促され彼は襦袢で拭いた。自分の最初の女は母親ではなかったか。そのような思いに至った彼は、その夜いやな夢を見る。そこには母親の姿があった。一枚の花びらから赤いしずくが流れたところで江口は目を覚ます。そこで江口が見たのは息絶えた娘の姿であった。
ここを訪れること自体がもう限界にきているのかもしれない。そして「男」を自負していた江口もやがて自らの運命を受け入れなければならないのである。そして、その彼にも死は確実に迫ってくるのだ。