(119)『悼む人』

天童荒太『悼む人』 2015年3月

小田島 本有    

 坂築静人はなぜ自分とは直接の関わりをもたない人々を悼む旅を続けるのであろうか。『悼む人』の読者は必ずそのような疑問に襲われる。作品の中でも週刊誌記者の蒔野抗太郎、出所まもない奈義倖世がその疑問を抱いた人物として登場してくる。
 静人の行動は奇妙であり、彼らの理解の範囲を越えていた。しかし、時が経つにつれ、彼らは静人に拘り続ける人へと変貌していく。蒔野はアクの強い取材方法で時には相手に不快感を与える人物でもあったが、後におやじ狩りに会い、そのとき静人を思い浮かべたことをきっかけに、人間そのものが変わった。また倖世は夫の自殺幇助をした過去があり、その後も夫の亡霊に取りつかれ続け、静人に惹かれるようにして旅を共にする。そして、自分の内に抱えたものを静人には伝えたいという欲求に駆られていく。
 静人は新聞などを通じ、どこかで誰かが亡くなったという情報を得ると、そこを訪れ、その故人について可能な限り尋ねようとする。彼が尋ねようとしたのは、その人が生前誰を愛し、誰に愛され、どのようなことで感謝されたか、である。その三点が特定の死者の記憶をとどめるにふさわしい項目だと彼は考えた。確かにそのようなことを突然尋ねられれば大抵の人は戸惑うであろうし、現に彼は新興宗教の信者と勘違いされて門前払いされたり、不審者として警察の尋問を受けたりもした。
 彼の行動に関する噂は妹の縁談話も破談にさせる要因となった。さらに、母親が末期がんとなり、いつ帰って来るか分からぬ息子を彼女が待ち続けることにもなる。だが、母巡子はいつしかこの息子の行動を陰ながら応援するようになるのだ。
 巡子の母親が亡くなったとき、静人は3歳だった。この祖母は亡くなる直前、幼い静人に「おぼえてて」とメモに書いた。この伝言を知らされたとき、静人は「うん、おぼえてる」と答えた。言ってみれば、静人は幼いときの約束を愚直なまでに守っているのだ。巡子もそのことを記憶している。
 我々の周囲には数多くの<死>が存在する。身近な人の場合はともあれ、大抵の<死>は我々にとっては無名の<死>である。そして時間の経過とともに<死>の記憶が風化し、忘却されていくことに静人は耐えられなかったのかもしれない。だが、「悼む」旅は始まったら尽きることがないのだ。
 静人の旅が続けられるなか、巡子の死期が迫る。その一方で破談になった美汐(静人の妹)は相手の子供を宿していた。自宅での最期を選択した巡子、その母を身近で感じたいがゆえ自宅での出産を決断した美汐。やがて、意識が薄れていく巡子の耳に赤ん坊の産声が聞こえてくるところで作品は幕を閉じる。一人の人間の死と、新たな生命の誕生。
 ここに普遍的な人類の営みを認めることができよう。