中原清一郎『カノン』 2015年4月
東京大学法学部4年生だった外岡秀俊が『北帰行』で文藝賞を受賞したのは1976年のこと。その後朝日新聞社のジャーナリストとして活躍した彼は定年を前に早期退職し、地元の札幌に戻った。その彼が『北帰行』から37年後、「中原清一郎」のペンネームで発表したのが『カノン』である。
ジンガメル症候群という記憶障害に陥った32歳の氷坂歌音と、末期ガンで余命1年を宣告された58歳の寒河江北斗。二人の脳間海馬移植を扱ったこの近未来小説は時代を先取りしているというだけでなく、人間という存在について根本的な問いかけをしている。歌音がこの手術に同意したのは4歳になる達也がいたからだ。つまり、北斗は歌音の身体を借りて生きる権利を与えられると同時に達也の母親役を歌音から託されたのであった。
北斗にしてみると多くのハードルが課せられることになったのは言うまでもない。彼は性も世代も異なる立場に置かれるばかりでなく、母親業という未知の体験を余儀なくされる。当然のことながらそれは多くの困難を伴う。しかし、歌音の身体を借りた北斗がする苦労は異性であることが主たる原因ではない。歌音の親友である相川沙希は言う。「初めから母性がある女なんていないんだから。女の母性って、後悔と涙が結晶したクリスタルみたいなもんよ」。事実、歌音が信頼を寄せていた達也の子ども園の担任の山岸先生もかつては子育てに悩み、子供に手をあげていたことを告白する。山岸先生ばかりではない。歌音も同様であったことを北斗は夫の拓郎から知らされた。北斗のする苦労は母親がみな共通に体験するものであり、その格闘のプロセスを通じて北斗は達也の本当の意味での母親になっていくのである。達也が行方不明となる事件も、北斗は自分が前日達也をぶったからだと思い込んでいたが、実際のところ達也は母親が入院したと思い、捜し求めていたのである。北斗の体当たりの子育てはしだいにこの二人を真の親子らしくさせていたのだ。
『北帰行』は一人称の語りで書かれた小説であり、石川啄木に傾倒していた主人公が抒情との訣別という形で青春に区切りをつける作品であった。そこでの主人公はあくまでも自分の内面を凝視していたのである。しかるに『カノン』では、作者の視野は周囲に開かれている。彼は子育てを通じて成長して行く女性に目を向けるばかりでなく、認知症と向き合わねばならない人間の宿命からも目を逸らさない。それは長年のジャーナリストとしての経験も深く影響しているのだろう。
「カノン」とは音楽用語で、第一声部の主題となる旋律を他の声部が模倣しながら追いかけていく楽曲のことをいう。北斗は達也の母親業のプロセスを通じ、「歌音」ならぬ「カノン」というオリジナルな母親へと成長していく。その経緯を知る読者には感動的ですらある。