(121)『泥流地帯』

三浦綾子『泥流地帯』 2015年5月

小田島 本有    

 1926年5月24日、十勝岳大噴火によって引き起こされた大量の泥流は麓の上富良野村を襲い、144名の犠牲者を出した。これを題材として書かれたのが『泥流地帯』である。
 ここでは貧しい農家の石村家、曾山家が登場する。石村家の拓一、耕作兄弟は早くに父を失い、母親は髪結いの修業のため長らく地元を離れている。耕作は成績が優秀で旭川中学に一番で合格したが、仮病をつかって入学を断念した。耕作を応援していた拓一の落胆は大きかった。だが、耕作の心の内も理解している。
 一方の曾山家では父親が酒と賭け事で多額の借金を背負い、こともあろうに娘の福子を売りに出す。福子は耕作の同級生であり、拓一、耕作は共に彼女に思いを寄せていた。自分の思いを隠さない拓一とは対照的に耕作は尊敬する兄への気兼ねもあり、自らの思いをひた隠しにしている。
 その耕作に好意を寄せていた女性がいた。それが深城節子、福子が売られていった深雪楼の娘だった。節子は強欲な父親がいるため、幼い頃から周囲の蔑視と戦ってきた経緯がある。小学生だった耕作が敢然と自分の父親に歯向かった姿は彼女には衝撃的であり、それ以来彼女にとって耕作は忘れられない存在となったのである。
 容赦のない泥流によって石村家では祖父、祖母、妹、曾山家でも福子と徴兵されていた国雄以外が犠牲者となった。勤勉で知られた三重団体も全滅した。その中、強欲な深城は災害に乗じて大儲けをし、拓一らの姉(彼女もまた犠牲者の一人である)の嫁ぎ先であった酷薄な武井シンは「心がけのいいもんは助かるよ。わしらカジキの沢のもんは、よっぽど心がけがいいんだね」と心ない言葉を発し、耕作を釈然としない思いに駆り立てる。<言葉の毒>にこだわり続けた作者の思いを我々読者はここにうかがい知ることができよう。
 大自然は圧倒的な猛威で人間に迫った。こうなると人間はひとたまりもない。
 多くの犠牲者を出した石村家の家族は勤勉かつ誠実な人々だった。それなのになぜ彼らは死ななければならなかったのか。そしてその一方で、どうして深城や武井シンがのうのうと生きていけるのか。この矛盾に耕作は耐えられない。「こんなむごたらしい死に方をするなんて……まじめに生きていても、馬鹿臭いようなもんだな」こう呟く耕作に兄の拓一は力強く語る。「おれはな耕作、あのまま泥流の中でおれが死んだとしても、馬鹿臭かったとは思わんぞ。もう一度生れ変ったとしても、おれはやっぱりまじめに生きるつもりだぞ」。
 現代文学において、これほど愚直な言葉を登場人物に吐かせる作家も極めて珍しい。だが、この一編を貫く力強い言葉があるからこそ、この作品は今でも多くの読者の心を捉え続けているのである。