又吉直樹『火花』 2015年8月
お笑い芸人の書いた処女作が初ノミネートで第153回芥川賞を受賞した。
「僕」(徳永)と神谷さんはそれぞれ別の相方と漫才コンビを組んでいた。ある出会いをきっかけに「僕」は神谷さんを<師匠>と仰ぐようになる。この二人、周囲とうまく関係を築くのが不得意という共通点があった。神谷さんは面白いことを優先させ暴力的な発言、性的な発言を辞さない。だが、誤解を受けること、他人を傷つけることを恐れる「僕」にはそれができない。「僕」が神谷さんに恐れを抱きながらも憧れを抱いていたのは、二人があまりにも対照的だったからである。
だが、自分を<師匠>として仰ぐ「僕」の前では神谷さんもそう振る舞わざるをえなかったという点を見逃すべきではない。神谷さんの相方であった大林の語るところによると、神谷さんは「僕」の前では格好をつけたがっていたという。神谷さんは真正面から面白いことを追求する芸人になりたいと願う「僕」にとって、一つの偶像だった。なぜなら神谷さんは一緒にいるといつも面白い存在であり、自分の作り上げたものを破壊するヴァイタリティーをもった人間に映じたからである。だが、こうした人物像は神谷さんの必死な努力によって維持されていたとも言えるのではないか。神谷さんは同棲相手であった真樹さん、あるいは相方の大林に同じ顔を見せていたわけではない。また、彼は一緒に酒を飲むとき決して「僕」に支払いをさせようとはしなかった。その一方で彼が消費者金融から借金を重ねた挙げ句、失踪を余儀なくされたところにも神谷さんの別の側面がうかがえる。
二人が外を歩いていたとき、たまたま楽器を叩いていた男に遭遇する場面がある。人の気配を感じて演奏を止めた彼に神谷さんは喝を入れた。家でやっているならともかく、外でやっているのなら真剣勝負をしろ、というわけである。ここでの喝は自らへの喝でもあっただろう。
「僕」は相方が同棲相手と入籍する決心をしたことをきっかけに10年間続いたコンビを解消した。最後の漫才を涙を流しながら見てくれた神谷さんは、漫才は決して一人ではできないとも語る。売れるのはほんの一握りかもしれないが、彼らの周りには凄い奴がいた。たとえ売れなかったとしても、彼らという存在は決して無駄ではない。いわば切磋琢磨するライバルがあって、はじめて本物が誕生するという。これは神谷さんの「僕」に対する温かいエールでもあった。
その神谷さん、失踪の後しばらくぶりに「僕」の前に現れたとき、豊胸手術をしていた。神谷さんの思惑とは裏腹に「僕」は笑うこともできない。今頃になって慌てる神谷さんのちぐはぐさは、おかしくももの悲しさを感じさせる。