(125)『当世書生気質』

坪内逍遙『当世書生気質』 2015年9月

小田島 本有    

 坪内逍遙にとって、「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」と述べた『小説神髄』がいわば理論編だったのに対し、『当世書生気質』はその実践編であった。近代小説の確立を目指したこの作品も、とりわけ当初は戯作調の語りは免れなかったし、才子佳人、兄妹再会という従来のパターンを踏まえざるを得ないほど、その匂いは染みついていたのである。
 物語は小町田粲爾と芸妓・田の次(お芳)が偶然再会する場面から語り始められていた。二人は兄と妹として育てられたが、血は繋がっていない。お芳は自分を育ててくれた老婆と死別し、まったく天涯孤独となった状態で粲爾の父親に見出され、不憫に思った彼に育てられた。やがて粲爾の母親が病死したのをきっかけにお芳は芸妓・小常に引き取られ、芸妓・田の次となる。粲爾と田の次(お芳)が兄妹として育てられていたのは7、8年のことである。
 この二人の偶然の再会を嫉妬の目で目撃した人物がいた。それが田の次をひいきにしていた顧客の吉住である。粲爾が田の次に心惹かれていったのは事実であるが、彼があわや退校寸前まで一時追い込まれたのは吉住の画策があってのことだった。粲爾の友人、とりわけ倉瀬などは田の次を高く評価しており、二人が結ばれることも期待するのだが肝心の粲爾は優柔不断である。第十三回では、障子の向こうに映る二人の密談の様子が語られるが、この会話の主がまさに粲爾と田の次であった。将来の約束を交わすことを躊躇し、今のうちに縁を切ることを口にする男に対し、一方の女は6年でも7年でも待つ覚悟を語る。
 やがて田の次の身元が分かる。彼女は粲爾の友人でもある守山友芳の妹であった。上野戦争の混乱の中で、友芳の父である守山友定は妻が絶命し、娘は行方知れずとなった。それ以来娘を捜していたが、最近では夢の中でも娘が現れるようになり広告を出してもいたのである。この広告を見てこれを悪用しようとするお秀のような女もいたが、やがて一件落着。田の次は落籍されて素人となった。
 この作品は「当世」すなわち明治十年代の書生気質を描き出すことに主眼があった。その役割を担ったのが彼らの会話である。逍遙はこの作品を書くにあたって、語り手をどう設定するかに苦心した。彼は近世の文学を体現した人物であり、地の文ではその影響から完全に脱することができなかった。「質を八に置き、苦に渋を重ね」(第十八回)などという言い方はその典型に他ならない。だが、書生たちの会話を綴るとき、彼は自らの青春時代のやりとりを比較的自由に再現することができたのである。
 『当世書生気質』は必ずしも成功作とは言いがたい。だが、新時代の文体創出という点で確かな一歩を踏み出したのである。