(154)『雲は天才である』

石川啄木 『雲は天才である』  2018年2月

小田島 本有    

  『雲は天才である』は新田耕助の語りによって展開される小説である。S―村尋常高等小学校の代用教員を務めていること、高等科の生徒達に課外授業を実施し、それが彼にとって「最も得意な、愉快な、幸福な時間」になっていることなど、新田は啄木の姿を彷彿させる。前半は彼が自ら作った校歌風の歌を生徒に教えたところ、それが生徒達に愛唱され校長らの不興を買った場面であり、後半は学校に友人天野朱雲の紹介で石本俊吉という乞食風の男が現れ、新田に面会を求める場面である。作品は石本が新田に過去の厳しい生活を語るところで唐突に終わっている。この作品は生前発表されなかった。
 『雲は天才である』は啄木がはじめて書いた小説だった。今でこそ歌人として有名な彼だが、彼にとって短歌はあくまでも「悲しき玩具」であり、彼自身は小説家として名を成そうと願っていた。だが、『雲は天才である』は未完であるという事実を差し引いたとしても、やはり未熟な作品であったと言わざるを得ない。その一番の要因は、主人公の新田を啄木が対象化しきれていないことに求められる。
 この尋常高等小学校には4名の職員がいる。その中で田島校長と首座訓導古山は新田にとって批判対象であり、女教師である山本孝子は新田に共鳴する側というように対立構造がはっきりしている。校歌の件についても、校長らが問題にするのは新田がしかるべき手続きを経ないで生徒達に愛唱させたという事実であって、歌そのものを問題にしているわけではない。その一方で新田の妻や山本教師はこの歌を評価しているし、生徒達はこの歌を気に入っている。作品中で紹介される歌詞を見ると、「『自主』の剣を右手(めて)に持ち、左手(ゆんで)に翳す『愛』の旗」という言葉が見られ、やや革命歌風の趣も伺える。これは新田が生徒達を「ジヤコビン党」になぞらえている事実と符合している。校歌をめぐり校長と新田がやり合っている場面に生徒達が歌いながら現れるというのも、啄木が生徒達にストライキを煽動した事実が思い合わされる。啄木は新田とまさに一体化していたのである。  後半に登場してくる石本俊吉は親友天野朱雲からの紹介状を携えていた。天野は貧乏インテリとも言える石本の境遇に同情し、彼の助力を新田に求めたのである。その天野も教員を務めていたはずであったが、石本の話によれば校長と対立して免職となったという。新田と天野は似た者同士だったのである。
 天野は「朱雲」という名前だった。この作品のタイトルが「雲は天才である」であったことを思えば、啄木は天野朱雲および新田耕助を全面的に肯定する気持ちがあったのではないか。だとすれば、この作品に作者の自己批判的な記述が見られないのも致し方のないことなのかもしれない。