有島武郎 『実験室』 2018年3月
前日に20歳の若妻は喀血して亡くなった。院長をはじめとする周囲の人間たちは乾酪性肺炎が死因だと主張するが、夫である三谷は納得できない。粟粒結核に違いないと信じる彼はこの病院の内科副医長の立場にあった。真実を明らかにするため親族兄弟の反対を押し切って亡き妻の解剖を断行する彼の姿を描いたのが『実験室』である。この作品が発表されたのは大正7年のことだが、前年作者の有島は妻の安子を肺結核のため亡くしている。
「お前は自分の生活と学術とどっちが尊いと思っているんだ」との兄の問いかけに、三谷は「僕は学術を愛しているんです。僕の生活はいわば学術の尊さだけ尊いんですよ」と言い放ち、妻の遺体を「一個の実験物」だと思っていた。この姿に「研究者の純粋な気持ち」があったことは間違いない。そして解剖の結果、彼の診断が正しかったことが証明される。作品中の、「彼は思わず、最愛の妻の肺臓を、戦利品でもあるかのごとく人々の眼の前に放り出した」との一文は極めて象徴的である。
だが、物語はこれだけに止まらない。解剖の途中で、彼は他人の前では決して見せなかった妻の蠱惑的な微笑を想起する。そして疲労を覚えて外を眺めたとき、彼の目に映ったのは二人の看護婦たちの健康的な姿だった。彼女たちは生そのものであり、死んだ妻とはまさに対照的である。
そして摘出された胃を切り開いたとき、一人の医員は「喀血を嚥下したんだな」と叫ぶ。胃壁に付着した血液が黒々としていたからである。このとき三谷の脳裏に浮かんだのは、「死にたくない」と訴え、コップに吐き出された血を目の前で飲み干してまで生きようとした妻の必死な姿だった。狂気の沙汰と言うのはたやすい。だが、そうしてまで最後まで死に抵抗しようとした姿がまざまざと思い出されたのである。
自分の診断が正しかったことが証明されたとき、彼は「勝利の喜び」すら感じた。しかし、その思いも亡き妻の断末魔の叫びを想起することで跡形もなく消え去ったのである。実験室、それは彼にとって「庵室とも、城廓とも、宮殿とも」思えるものだったが、いまやそれは「機械と塵埃との荒野」へと変貌してしまった。これまでの生活に対して空虚さを感じたとき、彼は悲痛の涙にくれざるを得ない。
自分の診断の正しさを証明しようとしたとき、そこには研究者としての本能が先行していた。だが、今彼は妻が自分を真剣に愛してくれたことに今更ながら気づかされ、彼女を亡くした喪失感に襲われるのである。
彼の手術衣の衣嚢には解剖台から持ってきた4つのガラス瓶があった。中にはアルコールにつけられた亡妻の肉片が沈んでいる。いまや彼女の形見はこれだけだ。彼の「絶望」は限りなく深い。