(156)『海に生くる人々』

葉山嘉樹『海に生くる人々』  2018年4月

小田島 本有    

   『海に生くる人々』と『蟹工船』、両者は船の中で厳しい労働を強いられる人々が描かれ、彼らが起こしたストライキがいったんは成功したかに見えたものの最終的には失敗に終わる、という点が共通している。
 だが、『蟹工船』における労働者たちが周旋屋などに騙されて搔き集められた季節労働者であったのに対し、『海に生くる人々』の万寿丸に乗船しているのはいずれも海員手帳を交付された船員たちであった。また、『蟹工船』の場合とは異なり、何名かの登場人物の個性は描き分けられている。
 万寿丸は室蘭と横浜を往復する石炭船である。船員たちが船長に対してストライキを決行するに至る伏線は幾つかあった。
 一つは暴風雪での作業中、ボーイ長が大きな怪我をしたにも拘らず、船長が彼を病院に行かせたり、傷害手当を出したりすることはなかった点だ。二つ目は船長が難破船を見捨て救助不能の信号を出したことである。二度の沈没経験のある波田はこのとき船長の真の姿を垣間見た。三つ目は、夜中に横浜港外まで船が着いたものの時化のため仮泊をしなければならないにも拘らず、船長がお忍びでの帰宅を断行すべく、三上・小倉の両名をサンパン(小舟)の漕ぎ手に指名したことである。これらは船長の身勝手さ、冷酷さを浮き彫りにする。
 三上は潮に流されるサンパンを必死に漕ぎながらも横暴な態度を示す船長にいったんは「この野郎!」と逆上する。だが、船長の懐柔策にころりと騙されてしまう人間でもある。小倉は善良かつ分別もある人間で、将来は船長になるため、藤原から英語や数学などを習ってもいる。その彼も一夜を共にした女に「三上さんよりも穀つぶしよ」と言われ、自分の煮えきらなさを痛感させられた。その彼がやがてストライキに加担するようになり船長を驚かせたのは、明らかにこの一件が影響していた。藤原は学生時代に本を濫読するインテリであったが、ある時点から本を読むことの無駄を痛感し、生活を求めるため労働者となった。彼は工場労働者のころ白水という人物と出会い、彼の影響を受けて労働争議に関わり、その結果検束されたという過去を持つ。万寿丸でのストライキの実質的な主導者となったのは、このような経緯があってのことだった。理知的、思想的な藤原と論理的、抽象的思考を苦手とする波田は対照的である。そのことはストライキの際、船長に冷徹な階級的論理で詰め寄る藤原と、シーナイフを引き抜いてテーブルを叩いて怒りを爆発させる波田の行動の差となって現れている。
 ストライキは船長の狡猾な手段によって失敗し、横浜到着後、船員たちは下船命令(解雇)を受けたり検挙されたりする。一歩進んだ彼らは失敗を体験することで次の課題が明確になったのである。