(164)『鱧の皮』

上司小剣『鱧の皮』  2018年12月

田島 本有    

  夫の福造は家を出たっきり五か月余りも消息をくらましている。一方、妻のお文は大阪道頓堀にある讃岐屋の女将として切り盛りに忙殺されている。『鱧の皮』はそのお文のもとに差出人不明の手紙が届けられる場面から始まる。差出人は福造であることが手蹟から明らかだ。
 福造の手紙は今回も金の無心である。彼は興行物を企画しては失敗し、そのたびに借金が嵩んでいった。福造は店の名義を自分の名前に切り替えてくれれば元の鞘に納まってもいいという。自分の拵えた借金は自分で片付けるから心配は無用。自分の不始末は棚に上げており、頼まれた側も無下に断るわけにもいかない。それがますます事態を悪化させているのであった。そして彼は好物の鱧の皮も送って欲しいと、書き添えていた。
 お文の母親であるお梶は福造に対して腹を立てており、今後一切興行物はせず、身持ちをきちんとしないうちは家の敷居は跨がせないとまで言い切っている。叔父の源太郎のところにも福造から何度か手紙が来たようだ。ひと頃、福造が大入りを取ったことがあり、その時は周囲から讃岐屋の旦那旦那と立てられ、監督者であったはずの源太郎が福造に連れられて飲み歩き、茶屋遊びを初めて知ったという笑い話もあった。
手紙が届いた時、お文は叔父を連れ出した。母親の目を盗んで、東京まで福造に会いに行くつもりであることを彼女は告げる。お文も大きな讃岐屋を切り盛りするのに多忙な毎日を過ごしていた。三人の子供の世話も母親に任せているほどである。まさに手一杯の状態におかれていた。
 作品の中で従業員の若い男女(留吉とお鶴)が仲睦まじく話しているところをお文が発見し、癇癪を起こす場面が二度描かれている。このような光景を見ても嫉妬に駆られて興奮するほど、彼女の神経は苛立っていた。彼女は36歳という設定になっている。
お文は、夫の好きな鱧の皮を買い、それを送ろうとする。ということは、彼の居所を彼女が承知しているということだ。ただ、彼女がこれから東京へ行き、福造に会ったからといって、彼が激変するとは思われないし、夫婦の関係が好転するとも考えられない。福造が店の名義を自分の名に変えることを望むのも、店を抵当に入れて高額の元手を得ようとしているからだろう。決して地道に仕事をしようという発想はない。それでもお文は夫に頼るしかないのである。だが、そこで彼女が頼りにする夫婦関係はいつか破綻することも予想させるほど儚いものだ。
この作品のタイトルは「鱧の皮」であるが、今にも切れてしまいそうな夫婦関係を「鱧」ではなく「鱧の皮」一枚になぞらえようとする意図が、作者にはあったのかもしれない。