(174)『奉教人の死』

芥川龍之介『奉教人の死』   2019年10月

小田島 本有    

 「ろおれんぞ」なる「少年」が「えけれしあ」(寺院)の前で飢え疲れて倒れていたのを助けられ、ここで生活を始めるところから物語は始まる。信仰心の厚さは周囲も認めるところであり、顔かたちが清らかで声も女のように優しい。
 その「ろおれんぞ」にスキャンダルが持ち上がる。傘張りの娘が懐妊し、その父親が「ろおれんぞ」であると言ったためである。伴天連からも問いただされた「彼」は、娘から艶書を貰ったことは認めたものの、彼女とは口をきいたことさえないと答えるばかりであった。疑いの晴れぬ「彼」は破門を言い渡される。「彼」を弟のように慕っていた「しめおん」はこのとき「ろおれんぞ」の美しい顔を拳で打った。よほど悔しかったのだ。「ろおれんぞ」は乞食としての生活を余儀なくされた。それでも信仰心だけは衰えることがなかったらしいことを語り手は語っている。
 やがて大火事が起きる。傘張りの家も焔に包まれる。家族は逃げ出してきたが、娘が産んだ女の子の姿が見えない。そこに現れた「ろおれんぞ」は火の中へ飛び込んだ。そして「ろおれんぞ」は女の子を抱いて外に出てきたが、そこへ燃え尽きた梁が落ちてその姿は見えなくなった。このとき「ろおれんぞ」は必死に幼子を投げその命を救ったのである。そして「ろおれんぞ」が「しめおん」によって救い出されたとき、その姿は無残にも焼けただれていた。傘張りの娘から「この女子は『ろおれんぞ』様の種ではおじゃらぬ」という「こひさん」(懺悔)がなされたのはこの時だった。しかも焦げ破れた衣の間から「清らかな二つの乳房」が現れるに及び、「ろおれんぞ」が女であったことが判明する。そして「ろおれんぞ」は「安らかなほほ笑み」を浮かべつつ息絶えたのだった。
 作品を読むとさまざまな疑問が浮かんでくる。「ろおれんぞ」はなぜ女であることを隱す必要があったのだろうか。そもそも彼女が「えけれしあ」で拾われる以前にいかなる経緯を辿ってきたのか、作品はまったく伝えていない。
 語り手は奉教人の一人として設定されている。ということは「ろおれんぞ」にスキャンダルが起きたとき、この語り手も「ろおれんぞ」を非難し追放することに加担した一人だったのである。すべてが明らかになったとき、奉教人たちの間から、「ろおれんぞ」の行為を「まるちり」(殉教)だという声が波のように起こったことも記されている。
 この作品を読んだ志賀直哉は、結末で背負い投げを食わされたようで好かないと評した。だが、作品中で「ろおれんぞ」の女性を匂わす表現が、たとえば「しめおん」との関わりの中でさりげなく書かれていた事実は指摘しておく必要があるだろう。