(175)『屋根裏の法学士』

宇野浩二『屋根裏の法学士』  2019年11月

小田島 本有

 『屋根裏の法学士』は大正7年10月号の教育情報誌『中学世界』に掲載された。
 主人公の乙骨三作は帝国大学を卒業して5年を経過した法学士である。作品中には「東京に来てから足かけ9年」とあることから、彼が東京帝国大学法科の卒業生だったことが分かる。
 事実彼はもともと学業優秀であったようだ。だが高等学校時代の出席日数は三分の二程度だったというし、大学時代は1年に平均10日ぐらいしか出席せず、卒業時の成績も最下等から2番目だったという。そもそも父親が3歳の時に亡くなり、面倒を見てくれた親戚の大池が高等商業への進学を迫り、文科を志願していた三作と意見が折り合わず、結局は折衷案的な発想で彼が法科を選んだという事情があった。もともと彼は積極的に法学を学ぶ気持ちはなかったのである。
 だが、彼の現在に至るまでの自堕落な生活はこのことばかりが原因だとは言いかねる。いまや大力士と言われている大嵐辰五郎は中学時代の同級生であり、その当時相撲をやっても自分の方が勝っていたことを彼は回想している。若手の名弁護士という評判の柿井も学生時代に三作が見下していた男であった。作品中では、「要するに、この世に処して行くための最大の要素である根気と勇気とそれから常識とが彼には欠けていた」と書かれている。これほど乙骨三作という人間を端的に表した言葉はない。そもそも彼が文科を志望したのは、作家になって文章で身を立てたかったからである。しかし、今の彼は小説を書こうとするものの、根気が続かずすぐに投げ出してしまう。それでいながら、小説に限らずあらゆる芸術の現状に対して不満だけは燻っている。もともと彼は「ひとりよがり」で「高慢な子」であり、何となしに「浮き世を軽蔑」する傾向があった。これでは生産的なものが生まれる気配すら感じられないのは無理もない。作品の末尾で三作が下宿屋のお上に、「奥さん、浮き世はおもしろくないね」と語りかける場面がある。浮き世をおもしろくさせるのは当の本人なのだ。このように呟いている限り彼の前途は望めないだろう。
 漱石が『それから』を書き、社会問題化していた高等遊民を取り上げたのは明治42年のことである。啄木が「時代閉塞の現状」の中で学校は出たけれど就職できない若者の増加を問題視したのは明治45年だ。そして『屋根裏の法学士』が発表された2か月後に大学令が公布され、それまで専門学校であった私立の学校が学士を輩出できるようになった事実を踏まえると、中学生が読者である雑誌にこのような小説が発表されたことは非常に興味深い。今後三作のような若者が増加するであろうことを見越し、中学生に覚醒を促そうとした作品だったのだろうか。真相は分からない。